仕事で成果が出てなさすぎて嫌になってきた。まるで、昨日観たきしたかのが清春の歌詞書き起こすやつみたいに、実装してからビルド、20分後にようやく自分の実装の成否が出る、という。それでいて、CPUは回りまくってるので、他の作業もやりづらいから、ひたすら調べ物…。まだデプロイが完了しない…という地獄な状況です。pnpmとturborepoとserverlessの相性がよくないっぽい。一刻も早く抜け出したい。
MyFFF2024完遂!最後に観た『楽園』も良かった。少年院で出会ったジョーとウィリアムは、互いに激しく惹かれ合う。出所間近のジョーは、ウィリアムとの関係と自由の間で、激しく逡巡する。この二人の関係性を、80分超という短い時間の中で、十分丁寧に描いている。彼らの目線、彼らの行為。特に壁を隔てて隣同士の部屋に眠る時、お互いの鼓動を感じながら過ごす僅かな時間の息遣いが伝わってくるよう。その代わり、少年院の他のメンバーの思い、みたいなものにはそこまで比重を置いていないので、彼らの行動論理が見えてこないことがあったのがマイナス。蛇を愛するウィリアムが、院の工場で見繕ったお手製のタトゥーペンで、ウロボロスの絵をジョーの肩に描いていく。北欧の言い伝えによれば、この蛇の囲いの中に「楽園」はあるとのこと。少年院のみならず、この映画にはいくつもの「囲い」が出てくるが、ジョーとウィ リアムはその中に収まり続けることが出来るのか。二人の「楽園」は顕現するのだろうか、というのが、この映画のテーマなのかなと思った。
妻も発熱していたので、今日は一日家でのんびり。来週のテレビ千鳥『ジム・キャリー選手権』に備えて、むすこと『マスク』を観たり、『アメトーーク』の「賞レース2本目やっちまった芸人」を観て、チョコプラの例の回の解像度が上がったり、きしたかのが清春の歌詞を書き起こすのを観たりしていた。『すべての夜をおもいだす』の演奏会は、情報仕入れるの遅すぎて満席で行けず。SNS亡き後の情報収集の仕組みは改めて考えなくてはならない。昨日のスクリーンタイムはついに28分。
ぴんくさん、「あーとう」って言うんですね。
街裏ぴんくのテレビ行脚が順調で安心してる。R-1の直後密着、アナザーストーリーより好きかも。演出がないから。改めて観ると、本当に優勝発表の瞬間、吉住が諦めた顔してた。
MyFFF2024よりJoëlle Desjardins Paquette監督作『ふたりだけのロデオ』。あらすじとか概要だと、父娘がトラックレースに向かうロードムービーであることぐらいしか分からないんだけど、実際は序盤から雲行き怪しい。離婚して親権を元妻に取られた父親セルジュが、空手教室終わりの9歳の娘リリーをトラックに乗せて、そのまま伝説のトラックレース大会に向かうので、もう正真正銘の誘拐。セルジュが義理の父親を暴行したりする姿を見ているリリーだが、基本的にはトラックも父親のことが好きなので、なんとなく不穏な空気を感じながらもそ れなりに楽しい道中。しかし、その姿を運転席から見つめるセルジュは、どんなにはしゃいでいても心なしか涙目。パトカーのサイレン鳴る中、この旅が続けば続くだけ、父と娘の別れは近づいていくのだ、ということを父親も、リリーも、それぞれのやり方で認識していく。絵面は地味だが、展開も豊かで、ラストカットまでバッチリと決まった傑作。
天気は良いが金はない(4万円スラれたから)状態なので、のんびり上北沢〜桜上水周りを散歩。流石に惨めなので、お茶受けぐらいは買おうぜ、とたまたま発見した和菓子屋「静花」がめちゃくちゃ美味かったのでオススメ。人気メニューは色々売り切れていて、残ってたものを適当に買ったのだが全部美味かった。この店の前にある担々麺の店「四川料理 担古麻」も気になってます。
https://maps.app.goo.gl/LNMZZEu1q14pioUe7
やんわり仕事したり、読書したりしながら、気合い入れて『SIFU』やってた。ようやく一面「廃工場」をノーミスクリアで、20歳のまま「クラブ」へ。集中力が切れると如実に弱くなるので注意。
夜にむすこの塾のオンライン保護者会。序盤で、日本社会の未来についての解説。職場が教育業界っていうこともあり、ある程度はよく知った議論だったのだが、「今後少子高齢化で移民が増えてくると、英語で会話をすることが普通になる」という予測が興味深かった。今は、英語を話せることがアドバンテージだが、これからは話せないことがマイナスになる、という。さもありなん、と思う。
蔡明亮『愛情萬歳』。これでU-Nextで観れる蔡明亮は、完全制覇かな。と言いつつ、後半かなりの睡魔にぶん殴られたような。しかしながら、面白かった。空き家の鍵を見つけた主人公・シャオカン(またこいつ)。営業の仕事を終えると、しれっと、さも当然のような顔で、この家に帰ってきて、自殺を図りリストカットする。ところがそこに、この物件を管理している不動産セールスの女が、街で出会った男を連れてやってくると、情事が始まる。
主要登場人物三人が、それぞれ違った形の孤独を抱えていて、たまたまその物件という「空虚」に群がっているのだが、その隙間は何をしても埋まることはない。ただ、会社の輪にも入れず、ゲームに興じる同僚を眺めながらオフィスの隅の方で丸くなっていたシャオカンは、孤独な者同士、傷を舐め合うように拠り所を見出していく。その一方で、空虚に直面して成すすべもないものは、ただ途方に暮れて、歩き続ける。長編第二作目にして、キャリア後期に特徴的な長回しが多用されている。
会社で映画の話してたら『チア☆ダン』の話をする時だけ熱量が違う、と指摘を受け、あれよあれよという間にオフィスで上映会をやることになってしまって、今日がその日。熱量が違うのは、基本的に邦画スポ根カタカナ四文字タイトルは軽く見られてしまうが、実は傑作であり、完全にバカにして仕事しながら見始めて、気づいたらテレビの前で正座して号泣していた、という特殊な体験をしたからであって、本当なら『オリーブの林を抜けて』とか『暗殺者のオペラ』とか観たいよ。そんな事故上映会が、結果的には大成功。やっぱ並べて皆で映画を観るなら、格好つけずに、明るい映画を選択したほうが良い、ということでしょう。数年ぶり三回目で、序盤やっぱり演出も映像も酷すぎて不安だったんだけど、後半監督変わった?ってレベルで超繊細な映画でした。どっかにきちんと書こう
帰ってきてNetflixで『バレリーナ』。冒頭からかなり景気の良いアクションがおっ始まって、期待が爆発していたんだけど、中盤かなりジメッとしたノワール風味で、正直乗り切れなかった。アクションシーンはそんなに多くない印象。ただ、終盤のバトルの出来がかなり良いのと、オチがとにかく振り切れた景気の良さに満ちているので、決して悪くはなかった。主演の女優がいいなーと思ってたら、『バーニング 劇場版』のチョン・ジョンソ。親友の「バレリーナ」役は『ドライブ・マイ・カー』のパク・ユリム。
朝から「SNSのディストピア化で憂鬱…」という話をエンジニア仲間としていたら、勧めてもらったNetflix『監視資本主義:デジタル社会がもたらす光と影』を観た。
実際にGoogleやFacebook、Twitterなどのテック企業で働いていたエンジニアやデザイナー、マネタイズ担当ら(みんなSNS中毒者であり元加害者)が、現代のSNSが持つ問題をつまびらかにする内容で、ここ一年以上考えていたことの答え合わせのような気分だった。「SNSは人類には早かった」という問題ですらなく、「そもそも猛毒である」のではないか。中毒、鬱や自殺、陰謀論、世論の二極化といった問題を論じる際に、「操作(Manipulation)」という言葉が頻出していたのが印象的だった。アルゴリズムやAIによる「オススメ(Recommendation)」が人々に提供するのは、その人のためになるものではなく、企業が、組織が、オススメしたいものであって、そうしたアルゴリズムに毒されていくうちに、本来の自分を見失ってしまう。ポスト・トゥルースの時代に、「真実」を取り戻さんとする人々の話に見えた。
もう既にTwitterもThreadsもスマホから削除しているので、スクリーンタイムも大幅に減り、映画鑑賞や創作に時間を当てられるようになった。今、あの大いなる「時間の無駄遣い」を、子どもたちには味わってほしくないな、と思う(終盤で語られる3つのルールはなかなか有用だなと思う。1. 寝床に電子機器を持ち込まない 2. SNSは16歳から 3. 時間を予算化する。目覚まし時計を買うところからだな)。一方で、自分はサービス開発者でもあるので、自らの倫理観を問われている。今のところ、恥ずかしいことはしていないけど、肝に銘じておきたいなと思った。
(ただし、これ観てるのがNetflixなので、観終わった後、例の「あなたにオススメの動画」が出てきたのは、悪い冗談かと思った。YouTubeでオススメ動画の機能開発してたエンジニアが、オススメ動画を非表示にするChromeのプラグイン使ってる話、なかなかいい話だったな)
今日 の一枚:youra - Worm In The Apple
韓国のSSW。Mandongとのコラボ作は聞いていたんだけど、ソロのシンガーとしてはしっかり認識していなかったyoura。ちょっと前から再ブーム来てるドラムンベース風のアブストラクトなトラックも美しいし、儚げにフロウする歌唱も超好み。2023年のアルバム『(1)』もとても良かった。
何気なく観たらやられてしまった。1962年公開の川島雄三監督作。汚い団地の一室で、驕奢な家具をしまい込み、貧乏くさい着物に着替える初老の夫婦(伊藤雄之助と山岡久乃)。手際よくテレビなんかを片付ける姿に訝っていると三人の来客があり、ああ借金取りか何かかなと早合点で、夫婦の息子・実が会社の金に手を付けたという。「うちの息子はそんなことをするような子ではありません」、慇懃に対応する夫婦も、件の来客が退散した途端に家具を元に戻し、戻ってきた息子と更なる横領の計画を立てる。
売れっ子作家の妾となった娘にはもっと搾り取れとハッパをかける夫婦もヤバいが、押しかけてきた作家当人も傲慢を絵に描いたような人物。若尾文子演じる経理の女は、自分の旅館を建てるために、実の横領の手助けをしながら、色仕掛けでその金を巻き上げる。出てくる人物が揃いも揃って、腐臭を放つネズミのような性根の者ばかりで痺れる。
騙しあいに化かしあい。こすい謀が縦横無尽に張り巡らされる団地の一室には、至るところに外部につながる窓があるが、どれも身体が通らないぐらい小さかったり鉄格子に収まっていて、牢獄のようにも見えてくる。家族や悪い仲間同士になれば慇懃さが消え失せ、各々が好き勝手にお互いを罵ったり、更なる悪事へ誘うのだが、家の壁や天井、格子によってお互いが分断されていて、一生交わらない世界のようにも見えてくる。
こうしてエスカレートしていく悪辣は、幾度となく間隙を突くように唐突に遮られてしまう。例えば、切ったメロンを片付けた後に、過去の貧困を噛み締めて、そこ には二度と戻れないことを確認したり。例えば、白黒テレビから流れるダンスの狂乱に身を投じる姉弟の前景で、仏頂面でそばをたぐる夫婦だったり。例えばラストシーンの殴りつけるような雨と、置き去りになった鞄とか。その横軸が、この物語に決定的な暗い影を落とし、各人のいい加減さの背景に横たわる惨めな感情が露呈してしまうのだった。
「酔っ払い」でも「道中」でもあるんだけど、些か「酔っ払い道中」とは言い切りかねる映画『ジャヌスとサムの酔っ払い道中』。MyFFF 2024より。
ジャヌスとサムは親友同士(何故この二人が親友であったのかがよくわからなかったのが、この映画の最大の欠点であるような気がする)。ジャヌスは、周りより少し頭が良く、しかしいつも呆けてて、モテからは程遠い雰囲気。サムは、すっごくしっかりと太った女の子で、地元の農家の娘。サムはこの日々は永遠に続くことを疑いもしないが、ジャヌスはパリの大学に合格していて、明日から引越し先を探しに行く段階。
この二人の暮らす村は酔っ払いだらけで、飲酒運転による事故も少なくないことから、村長であるジャヌスの母は飲酒の取り締まりを強化している。その裏には、彼女の酒浸りの夫が酒で命を落とすという過去があり、そのトラウマもあってジャヌスは酒を毛嫌いしている。ここに「酒」と「卒業」を巡る力学が構成されていて、その力場においてサムもジャヌスも動いている。そういう物理的なストーリーテリングは、伏線や仕込みが機能しやすくて、大変スマートな作りのコメディだなと思いました。
街裏ぴんくとルシファー吉岡の出演する『TOKYO SPEAK EASY』を聴いた。探り探りで意外と距離のある滑り出しだったんだけど、興が乗ってくると、SNSでの評価、特に街裏ぴんくが「大声でどなってばかりのつまらない芸人である」という低評価を受けていること、そして吉住のデモのネタが軽く炎上していることに関して、二人が見解を述べる興味深いラジオ。しかし、ルシファー吉岡さんが、ここまでジェントルで丁寧な話し方をする人だということを全く知らなかったので、軽く衝撃を受けました。「下ネタを言いたいわけじゃない」ということを、極めて紳士的に語っていた。
オスカーでのダウニー先生もエマ・ストーンも、「(ニュアンスは違うものの)感じ悪いな」とは思うんだけど、やっぱSNS噴き上がりの暴力性みたいなものを感じてしまって乗れないです。わずか数十秒の「間違った」振る舞いを以て徹底的に糾弾される、その状況が自分に降り掛かってくる恐怖の方が全然勝ってる。人類にはSNS早かった案件。
俺も調子乗ってて人のこと無視したり、侮蔑的な態度を取ってしまう過ちを冒すことはあるだろうという自覚がある。そんなことがあったら、そら謝るよ。その時はちゃんと謝りたい。でも、その謝意って、絶対に伝わらない自信がある。これから、RDJもエマ・ストーンも謝るんだろうけど、その謝罪がSNS噴き上がりの民に届くことはないだろう。「白人がプレゼンターなら、こんなことはしなかっただろう」。「なら〜だろう」でこれだけぶち上がっているのだから。
この繰り返しを経て、しかしながらRDJもエマ・ストーンも今の地位を維持するのだろうから、SNSの声なんて力を持たない、という事実に皆が気づいていき、この悪魔的なメディアの力は指数関数的に落ちていくだろう。その見事なフィルタリングバブルの中と外の分断は続く。ここんとこ、毎日のようにこの噴き上がりの話をしている気がします。
Netflixで『家をめぐる3つの物語』を観る。三本の短編ホラーアニメという認識だったんですが、「ホラー」にはあまり重きはなく、まさに「家をめぐる」という部分がこの連作の重要なテーマになっている。一本目では、その成り立ちが示されるのと同時に、ドールハウスとして出現する「家」は、二本目では完全に蟲の住処になっていて、三本目で浸水の憂き目にあっている。アニメーションの雰囲気も一編ごとに若干異なり、特に一本目の不気味な雰囲 気は特筆すべきもの。中心に目鼻の集まったフェルトアニメは一見可愛らしいんだけど、追い詰められて心を失っていくごとに、目の虚ろが強調されていく。最終的には『ヘレディタリー』を思い起こさせるような恐怖表現が繰り広げられると、二本目はどちらかというと『ボーはおそれている』。ホラーとはちょっと違ったけど、興味深い表現でした。
とにかく、主人公アイドゥンは徹底的に嫌われている。元俳優にして地元の名士である彼の前で、人々は張り付いたお追従笑いを続け、見えなくなると「あのクソ野郎が」と吐き捨てるし、それ以外の人々はもはや彼への軽蔑を隠さない。幾度となく繰り返される口論中に指摘される以上に、何か決定的な理由があったのかは分からないまま、とにかく主人公が嫌われ続け、同時に観ている側も雪が積もっていくかのごとく、薄っすらとしかし着実に彼のことが嫌いになっていく。
アイドゥンと部下のヒダーエットが運転するトラックが、投石による攻撃を受ける。犯人は、アイドゥンの父親が持つ家に住み、家賃を滞納しているイスマイル家の息子イリヤス。アイドゥンたちは、逃亡中に川に落ちてずぶ濡れになったイリヤスを送り届ける、という善意の衣を被って、彼らの住む家に向かうと、酒浸りのイスマイルによって逆に脅されてすごすごと帰ることになる。
地元の新聞に寄稿する作家先生としての顔も持つアイドゥンは、そうした経験を踏まえ、地元の退廃を告発すべくペンを執ると、その態度が出戻りの妹ネジラの批判を呼ぶ。悪とどのように対峙すべきか。「悪には抵抗すべきではなく、自戒を促すべきである」というネジラの信念は、別れた夫への「許し」を考えるきっかけとなるが、アイドゥンもその若く美しい妻ニハルもその心情を理解することが出来ない。
三人の議論は、お互い全て筋が通っていて、全て理想論であり、全て矛盾している。破綻し、空中分解する、議論の残骸である 。教養ある落ち着いた大人の態度を崩そうとしないアイドゥンは、破綻した議論を気取った手付きで修復しようとするが、その気取りが邪魔をして、議論は順調に惨めな口論へと移行する。
アイドゥンとニハルの関係は完璧に破綻していて、修復を試みるよりも互いに干渉しないことが唯一の正解のよう。そんな中、慈善家としてのニハルの活動に、年の離れた「教養ある大人」としての気取った態度で口を挟むアイドゥン。確かにニハルの事業家としての能力もかなり怪しいものだが、それを偉そうに指摘し、大人の私が助けてやると手を出し、面倒くさくなって放り投げるアイドゥンもなかなかのもの。
もう、これは、人生を賭して共に何かを成し遂げるような関係ではないのかも。お互いがお互いの理屈で匙を投げると、遂に誰も彼もがバラバラで、孤独な存在であることに気付かされる。善意によって舗装された道は、悪に通じている。カッパドキアの小さな村に降り積もる雪のように、薄っすらと着実に積み重なってきた「悪」の上で、如何なる態度で生きていくべきなのか。ドロドロと垂れ流した悪意の層を、改めて踏み固めて見せるヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督のカンヌ映画祭パルムドール受賞作。3時間15分の大作ながら、2時間半ぐらい観た辺りで、もう1時間延長できねえかな?と思うほどの傑作でした。
吉祥寺から帰って、すぐに『不適切でなぜ悪い』を、4〜7話まで一気に観る。SFコメディを通り越して凄まじくエモーショナルな次元に到達してしまい、困惑しているのだが間違いなく傑作だと思う。ドラマの脚本を書く展開で、ここ最近感じているような創作にまつわる本質的なことをサラッと言っているのにも感動した。会ったこともないような人の意見に左右されるのではなく、目の前にいる信用できる人の意見に向き合うべきだよなー。
序盤では受けの演技を崩さなかった阿部サダヲが、ある恐ろしい事実を知る辺りで圧巻の演技を披露して、凄さに固まってしまう。後ろを振り向くとか、単に頷く。それだけの所作で、いくつもの感情を言葉以上に伝えてしまう。俳優の芝居には、そんな超人的なテクニックを期待していることに気付かされる。いつもは対等に演技している共演者も、この気の入った演技の前には、主役の座を明け渡してしまう。そんな凄み。本当に良いキャストが揃っているこんな現場でも、完璧に場を支配する存在感を出せる人がすなわち主役なのだろうとしみじみ納得した。本作では、阿部サダヲと、河合優実が、そのポジションにある。
旧友の灰谷くんと、彼のやってるmuumuu coffeeが出ているのも確認した。むすこと同じ名前の灰谷くん。まだ行ったことないので今度マジで行ってみたい、muumuu coffee。
俺、ガチの最推し芸人が決勝行くの、オードリー、ランジャタイぶりで、本当に興奮してた、今日(オードリーの時は、敗者復活戦からハラハラしてたな…)。んで、ビール2本買って鑑賞しました。
その、ガチの推し芸人って、街裏ぴんく。よく考えたら人生で一番生で観た芸人かもしれない。思い出せる限りで書くと、単独3回、単独配信3回、通常ライブに出てるの2回。カナメストーンでもこんなに観てない。要らない想像力を掻き立てられて、ホドロフスキーとか、デヴィッド・リンチ観てるような気分になるんですよね。瞬発力で言うとそれ以上か。『虚史平成』も全部聴いてる。
そういう人間になったつもりで、R-1見返してください。ハラハラするから。
芸歴制限も撤廃されて、当然ネタの厚みが増し、やっぱルシファー吉岡は強いな、と心底。ピン芸人って漫才コント以上に芸歴がモノを言う印象がある。ただ、芸歴10年程度、寺田寛明とかの常連メンツも引けを取らず、結局すべってる人いなかったですね。かなり引き締まっていて、最後まで満足して観られる回だった。
一部 燃えている吉住の一回戦ネタは、俺もちょっとないなーと思ってしまった。茶化すんだけど、対象の解像度があまり高くないので、やってる人の意図(「こういう人の、こんな態度、笑えますよね?」)と、観てる人の意識(「そういう人の、そういう態度の、何が間違っているのか?」)が乖離してしまう。同じように解像度の低いことが多いバカリズムが評価していたのも納得だった。ただ、こういうのでぶち上がるのはあまりよくない。確かに、デモに対する冷笑的態度に繋がりそうなネタというのは分かるけど、そのぶち上がりが、更なる分断につながると思うので。あと、吉住と永野は、天下取ると思ってまーす。
あと、Twitter上でしか知らなくて、それをいいことに当日まで意識して一切ネタの情報を仕入れないまま観たどくさいスイッチ企画。あれはなんですか?序盤数秒で天才が爆発してた。一発セリフ入れてからタイトルコールするんだけど、その速さと切断の精度が完璧で、一気に引き込まれてしまった。その速さについていけないという声もあったんですけど、あのやり口は映画のモダンな編集技法に似てて、スピードでぶん殴られたみたいに魅了されてしまうんですよね。どくさいスイッチ企画、ルシファー吉岡、街裏ぴんくが、俺の決戦三組。
んで、街裏ぴんく。一発目が俺の大好きな「プールに飛び込んだら石川啄木がいた」というネタで思わずガッツポーズしたんですが、「石川川石(いしかわせんごく)」に「へぇ〜」の時点でかなりのアウェイ。やりづらそうだし、時間制限もあるしで、いつもより大声まくし立て系の技術で押していく戦術を取っていたと思うんですが、それもあって普段より観客を引き込めず。しかしながらネタの強度は当然抜群に高いので、ルシファー吉岡に続く二位。この時点で、テレビでネタを2本観れることの幸せを噛み締めていた。
2本目は『虚史平成』より「モーニング娘。6人目のメンバー」として、街裏ぴんくこと「八ちゃん」が参加する予定だった話(さっきYouTubeにアップされていましたが、これ、もともとはネタだったんですね)。すっごく好きなネタ2本、俺が「強い」と信じている2本だったので、個人的には言い訳が効かない。えへらえへら笑いながら画面を見つめていたんですが、顔面引きつった人にしか見えなかったと思う。
無事優勝。ぴんくさんがすごい速さで崩れ落ちるのと同時に、俺もちょっと泣いてました(ただ、もっと泣くと思ってた、街裏ぴんく。志村けんが亡くなった時に追悼コントやって泣いてたぐらいなので。単独のラスト、平場で突然泣き出したのも見た)。最推しが優勝したの初めて。すげー嬉しかった。
その後、ENGEIグ ランドスラムに登場した際は、前に虹の黄昏とのライブで観た「山手線で痴漢に間違われないように心がける」ネタを披露して、今日3本目。ネタ時間も多少延びて、もう大分いつもの調子を取り戻し、とんでもねえ嘘の話をさも当然のことのように語りかけることで、観客がドン引きしてちょっとざわついていた。遂に、街裏ぴんくの時代が来た。
おとといフライデーのラストライブにたいちさん@ジーニアスが出るので代官山Unitへ。個人的に名曲『東京』が好きすぎるのと、バンドセットが2010年代東京インディのドリームチームB(トリプルファイヤー+シャムキャッツ+壊れかけのテープレコーダー+otori)みたいなメンツだったので、ちょっと期待して、案の定よかった。Have a Nice Day! 浅見さんのコメント(「AV女優は腹が据わってる」)にグッと来たり。で、バンドセットの『東京』で、歌詞の中身があまりに良いので噛み締めてたら、小島さんが泣いちゃってて、個人的にシンクロした。わかる。
終電逃して 家まで歩いた ラーメンの波打ち際だけ優しく輝く
完璧に「人形」として役割を与えられた状態で、それでもやっぱり「人間」として何か残さざるを得ない、という地平に立たされた時に、何が残るのか。そういう状況を見せられている感じがして、好きだったおとフラ。と言っても、トリプルファイヤーが関わりだした頃だけ集中的に聴いてて、後はちょこちょこだったんだけど、低音の中からジャズ・サンバが幻想的に表出するイリシットツボイさんによる『幽霊部員』とか、パソコン音楽クラブの『レモンキャンディー』(歌詞、今泉監督なの!?マジで!?)とか、今日知れた曲もあったので後でしっかり聴いてみようと思う。