面白い!
というか、誰がやるんだ、これ!
というか、誰かやってくれ!
面白い!
というか、誰がやるんだ、これ!
というか、誰かやってくれ!
判決が出てから、大分色んなブログを見て、色々と考えをまとめていたのですが、色んなモヤモヤが溜まって不快になってきたのでポスト。この映像は、本村さんの頭の良さと忍耐力がよく判る。(例のテレビ朝日の記者の質問に関しては、取りようによっては酷いけど、テレ朝に対する紋切型の批判の対象としてはちょっと違うかなと思っていますが)
http://d.hatena.ne.jp/toronei/20080422/F
昨日の風はどんなのだっけ? - 光市母子殺害事件で、差し戻し審は被告に死刑判決
今回の判決に関して言いたい事は、全部ここにあったので、実はこの時点ではブクマだけして終了しようと思っていたのですが。
正義は守られたけど、むなしさは残る。
この裁判の判決は、あなた達にとってこれは敗北だったかも知れないけど、僕たちにとってこれは少なくとも勝利ではない。
僕が以前この件に関して書いた時は、弁護団擁護派の批判するような「感情的なフェイズ」に入っていたと思うし、今枝弁護士の解任の件やブログの記事、橋下現大阪府知事の問題とかを通して同じように自省した人は多かったんじゃないかなと思います。
「感情としては解せないけど、弁護士の義務/弁護士の仕事とは、こういうものなのだ」という理解に達してから、この事件の見え方が変わってきたように感じます。
「卑劣な犯罪者にも弁護を受ける資格がある」という話と「弁護士・弁護団はどんな卑劣なやり方で弁護しても構わない」ということを、一緒にして話をしたがる人たちを、僕は牽制しておきたいです
ここまで扇情的な言い方ではなくても、ステートメントとしては非常に共感できる意見です。
僕は自分の身内にこういった事件の被害者が出たときに、ここまでの労力をかけて戦うことは出来るかも知れないけど、あそこまで冷静に戦う事は出来ないと思う
この人はおそらく人一人を自分が死刑に追い込んだ事を一生背負っていく
本村さん評として、簡潔にまとまっていると思うのですが、例えば本村さんを「死刑推進派」の先導者として捉えるむきや、ある種のイデオロギーを背負って活動している人と捉えるような意見を散見するんですが、まずそんな白か黒かのパワーゲームで全てが片付くぐらい死刑問題と言うのは簡単な問題ではないと思うし、そもそも本村さん自身が死刑制度について渡米までして深く調べているということに対する敬意を全く欠いていると思っています。
http://d.hatena.ne.jp/muffdiving/20080423/1208922168
NC-15 - 光市母子殺害事件の差し戻し審後の本村さんのコメント
−−これまでも今回も、会見では努めて感情をおさえているようだが
「そう思って臨んでいます。人間は当然感情的になることもあるが、被害者支援や刑事裁判の問題をもっと冷静に、理屈で考えてもらわないと意味がないと思いますから」(本村さんの発言)
我々は、妻子を殺害された被害者(法律用語使ってるわけじゃねえんだから、被害者で良いと思うんです)から、未だに学ばせてもらっているわけです。それが例え「死刑と犯罪被害者」について自分の頭の中でこねくり回すだけだとしても。
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20080423/1208939906
シートン俗物記 - 自滅した日本
http://sekakata.exblog.jp/7033468/
世界の片隅でニュースを読む - さあ「憎悪タイム」がまた始まりましたよ
自分の勉強不足はとりあえず置いておいても、こういう意見は「理解」は出来るのだが、「共感」は出来ないなあと感じます。
果たして、「最高裁判所が大衆の攻撃に恐れをなして」「判決を差し戻し」たのか。
果たして「警察・検察が恣意的に筋書きを練り、裁判がそれに沿って進められ、それに異を唱えることが“反省していない証拠”で、“真実を語っていない”」とは、誰が言ったのか?「反省してない証拠」は、「異を唱えた」ことに対して見いだされたのか?
「もし犯人が「少年」でなく「暴力団員」だったら、ここまで世論は高まっただろうか?メディアは報道しただろうか」。世論も高まらないけど、普通に死刑じゃないのか?議論の前提が違わないだろうか?
それより何より、もの凄い高見から机上の空論を繰るセンスと態度には、何の意味があるんだろうか、と思ってしまうのです。
こんだけ書いて、まだモヤモヤしてるからね。俺。
最後、感情的なことこの上ないけど、あえて貼っておきます。俺は(本当にごめんね、叡智の見本たる皆さんの前でこんな態度を示すのは本当にみっともないほど感情的なんだけど)自分の将来の妻や、その妻との子供がこんな目に遭わされて、それでも生きて行かなければならない、しかも戦って行かなければならない状況を想像しただけで涙が出てきます。
http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51282196.html
アルファルファモザイク - 光市母子殺害事件の記者会見見て無い人へ

入学金未納の生徒を入学式に出席させなかった件から派生したWEB言論に関する長文エントリ。教育と社会を考える一つの端緒として必読です。
こういった場合、子供は一方的に被害者であって、その子供を救済できるシステムを社会は構築していかなければならないし、それが例え「払えるのに払わない駄目な親」の子供であっても(というかそうであるなら尚更)救済されなければならない問題ですよね。そこが、もの凄く短絡的に「断罪されるべき!」という意見に塗りつぶされているのが一つの問題だと思います。
でも一方で、僕も「でもお金払っていないなら仕方ないよね」という別の短絡的な考え方でいたので、以下の引用部には凄く唸らされました。
こういう話をしていると必ず出てくるのは、「真面目に払っている人が損」という種類の声です。これは一見正論のようだし、これに対する反論は偽善的なヒューマニズムでしかない、という風に捉える人は多いかも知れない。でもそれは違う、払えない親や、払わない親の子供を教育現場から投げ出す事は、社会的に見て損だから、それは社会全体が大きなリスクを抱える事になることであり、遠回しに大きなコストを社会が抱えて損する事を、社会の構成員全体で防がなくてはいけないし、その為のコストは払うべきなんです。
脱法者が責められて済む問題ではなく、でも今回出席を認めなかった教育者(法)だけが責められる問題でもなく、社会の在り方がその脱法の陰で泣く一方的な被害者たる子供を救えるようなシステムである必要があるのだろうと思います。
親に責任とらすためにも、お金の回収は厳しくキッチリと専門家にやらせたほうがいい。これは教育問題じゃないよ。行政の問題。先生に話を押し付けちゃダメだし、子どもに責任をとらせちゃダメ。成年になるまでは保護者の責任。子どもにツケをまわさないやり方にしませう。
http://d.hatena.ne.jp/takerunba/20080417/p5
それとは別のフェーズで、以前のラボさんのエントリにあるような、過剰報道による横やりが、事態をややこしくしていて、これもまた酷く僕を萎えさせるんです。報道した方がいいのか否かは別として、凄く一義的な見方で現場を断罪していくのって、ここ十年ぐらいの社会を疲弊させている気がするのですが、この辺まとめきれないので、いつか良いエントリにきっかけ貰って考えてみたいです。
ふぬけ共和国blogの小飼弾に関する記事で、ハッとさせられる一節発見したのでメモ。
根本敬や吉田豪がなぜ必要かっていうと、真のマッチョは言葉を発しないから、あるいは一般人が理解できるようなことは言わないから、審神者(さにわ)となる人間が必要だったわけじゃん。
根本先生や、吉田豪(ダブルドラゴンの1プレイヤー似)を通すと、この辺のもやもやが凄くクリアになった。確かに、「マッチョとウィンプ」の対立項を持ち出した時のエントリは読んでて(自己責任と対になってる類の)、閉口する以上に「ウィンプ…って何?」と語学力の無さを呪ったんですが、皆ウィンプってすんなり受け入れたよね。立派だ。
404 blog not foundは、面白い記事も、唾棄すべき記事も山ほどあって、勇気付けられたり、憤怒することも山ほどある、どこにでもある更新量が立派なただのアルファブログだと思ってます。
最近、昨日の風が変に攻撃的な感じだなあと訝しがっていたら、こんな事になっていたのか…。地味にd.hatena.ne.jp経由のアクセスが途絶えねえなあとか思っていたら。良く分からない、ブクマコメント上のいざこざだと思っていてスルーしていたんですが、なるほど。奇跡が起こって、このリスト末尾の僕にもメッセージが届きました。ありがとうございます。
http://d.hatena.ne.jp/Sugaya/20070526/1180172036
(NOT FOUND-演芸雑想ノート-)
離反、暴言、云々はイマイチ真偽の程が正確に掴めないので置いておいて、本論に関して再度拙論述べさせていただくのならば、先に書いたことにほぼ相違なく、起こった事実は単なる芸人の一瞬の軽口で、放送された映像の後ろ側には大量のコンテクストがあって、一概には善い悪いの判断はできないのだろうけれども、この発言が「あった」「テレビで放映された」、という事実は「じめっと」語り継がれてしまうんだろうなあ、ということで、付け加えて言うならばそんな状況は凄く不幸な事だなあ、と思っています。
今回のいざこざも同様に(というかもろブーメランっすね)、不幸な無理解や不幸な説明不足や不幸なコミュニケーション不全をこじらせてしまった件として理解しているのですが、ネット言論界隈ではそうした不幸が積み重なると、「批評問題」よりももっと広義な「コミュニケーション問題」が疾患のように蔓延するものなんだぞ…と自戒の念を込めてここに記しておきたいと思います。
つーか、そんなことよりも、前回コメント欄にありますように、「お笑い批評問題について大声で語ろうとしたその背後に、当の品川さんがいらっしゃった」という不必要な奇跡について皆さんスルーされているのが、僕には不愉快ですよ!(←これがオチ!笑)
2008年北京オリンピックにおける、聖火リレー問題ですが、僕はしばらく前にこの記事を読んで、どう考えてよいのか咀嚼し切れない部分があります。結論から言うと、やはり僕は聖火リレー〜中国で行われる「平和の祭典」に対して、何らかの反応(抗議の姿勢)を示すべきだという意見を持ってます。でも、改めてそこに辿り着く為に自分の中で意見を一周させる事が出来ました。加えて、最近、市民活動や抗議運動に興味があった(どっちかというとネガティヴな意味で)ので、考えをまとめる上でとても参考になりました。
これからの時代は、政党や国家の枠組みを超えた民衆運動や市民運動が、政治の主役になっていくことは間違いない。
しかしその時代を見越して、世界の支配層は、既にそうした運動を体制内部に取り込み、道具として使い始めている。それを統率するのは、自称「ジャーナリスト」や「人権活動家」、そして体制に手なづけられた社会民主主義者だ。
アメリカが軍事力を使って20世紀の覇権国になったように、ヨーロッパはそうした民衆の力を利用して覇権を確立しようとしているのかも知れない。
そのひとつの象徴的な存在が、ベルナール・クシュネルや「国境なき記者団」であり、今回の聖火リレー妨害は、その最初の目に見える「戦果」だと言えるだろう。
人権活動家や運動家が、ヨーロッパにおける利権の大きな枠組みの中で利用されており、今回の聖火リレーの件はその最初の大きな成果として記憶されるだろうという説。とにかく聞いた事も無いような詳説に、凄まじい量の知識としっかりとした組み立てに裏打ちされた記事だと感心し、興味深く読ませてもらったのですが、釈然としない思いも。
(中国のチベットに対する)暴力に対して、(民衆の聖火ランナーに対する)暴力で対抗する…、という力の論理が、我々の否定し抗議していたはずの新たな暴力に繋がる、と言うとそれはそれで納得も出来るんですが、それを言うにはいささかロマンチズムが過ぎる上に、おおよそ政治の話が関係ない分野の話と交錯しまっているのではないかという気もします。
多分、「では僕は傍観するしかないのか」という、アクションの話になってくると思うのですが、勿論平素であれば聖火リレーなんて普通に傍観すればいいんですけど、でもそうではないだろう、それがまた別の体制に利用されるのだとしても傍観はないだろ姿勢として、暴力も用いない、法も侵さない何らかの形で、中国が脅かしている「自由」と「平和」に対する意見を表明していく必要があると思うんです。
※テレビ等で、「暴動」と称されるのにも、違和感があります。これも、改めて言葉にしたいんですが。「派手じゃなければ武器にならない」という世界を先導しているのは、テレビじゃねえか、と。
僕はユーモアは最大の武器だと思っているんですけどねえ、それこそ端的に「自由」を表明する近道だと。

ミャンマー軍事政権に抗議するTシャツを作ったいとうせいこうに、「今やるべきはビルマじゃなくて、チベットだろ」ととんちんかんな抗議が寄せられ、
http://ameblo.jp/seikoito/entry-10081765319.html#cbox
俺はTシャツ屋じゃねえぞ、と一蹴しつつも、
http://ameblo.jp/seikoito/entry-10084384539.html
Tシャツをオークションにかけます、その金全部チベットに寄付するので、今まで偉そうな事言ってたやつは、さぞかし高値付けるんだろうな、と煽り、
http://ameblo.jp/seikoito/entry-10085831125.html
最終的に粋なオチがついた件。
ちょっと関係あるようで関係ないのかもしれないけど、新潟の地震の時に、ものっすごく貧乏だった俺が、一食抜く勢いで500円寄付したその日に、同じ歳の松井秀喜が500万円寄付したと言うニュースを見て、うわー綺麗に一万倍と、凄く凹んだ事を思い出しました。

シンプルだけど強烈に目を惹く、美しいテンプレートデザイン。高低図のような背景は固定で、その上をカチッとしたで押さえています。
こういうの見ると、ブログをデザインしたくなるなあ…。

ripping yardにヒューマンが!!!!

むしろ文章に無自覚な人ほどやたらと漢字を多用していたりする。「その漢字、絶対あなた書けないでしょ」とツッコミを入れたくなるほどどんどん変換。
僕もちょっと前からその辺の事が気になっていて、あまり自分に馴染みのない漢字は、使用を避けたりしていたのですが、やはり綺麗にバランスよくひらがなを配置した文章は、美しいし読みやすい。
PCにおける日本語変換機能が、日本語と日本人の距離を急速に変化させていることは、日本語を考える上でとても大事な事だと思います。
http://www.smashingmagazine.com/2008/03/11/the-secrets-of-grunge-design/
みんな大好きSmashing Magazineの本日の記事は、「グランジデザインの秘密」。トレンドは、手書きの文字や、破いた紙、ドッグイアーに、クリップですから、デザイナー諸君は猛烈に真似するべし!…って、もう大分定番の手法ですね。
それにしても、面白格好良いポートフォリオが沢山観れて、勉強になります!

俺の机、このPingmagデスクに似てる…。
というのは置いておいて、先日のPingMag机プロジェクト。デザイナーの仕事場を見て、その汚さを拝見するのは、この上ないヨロコビ(NO MORE 佐藤可士和!)。一番のお気に入りはHudson-Powellの机だな。

なんでもコメント欄が優勝の時のネタを「パクリ」と主張する連中が沢山書き込んで、さらにそれをファンが反論して大荒れになったらしい。そしてまたその「パクリ」主張の内容が「ややこしや」を野村萬斎からパクったという凄い理屈らしい
うわっ。優勝報告ないなあ…とか思っていたら、こんなことになっていたのか…。これは酷い。
大昔に2chで、鬼の首を取ったかのように「ドラゴンアッシュは、スマッシングパンプキンズのギターフレーズをパクッてる」と書き込んでいる奴がいて、目ン玉が飛び出るかと思うぐらいビックリした記憶があるのですが、サンプリングならまだしも、パロディすら概念として判らないバカの存在を感じてそら恐ろしくなりました。
で、あと、こういうの(何も知らないバカのこと)を「ゆとり」とか言って囲い込む、当事者以外は臭いものに蓋をするような態度っていうのも、事態を悪化させるよね。ネット言論の歪みは、ネット言論全体で論じていかないと意味がないと思います。
カテゴリをエントリーのタイプと見なして考えてみました
タグって概念が出てきてなんか曖昧になってたカテゴリって概念の、ものすごくぼんやりとした区別の仕方が改めて明文化されててすっきり。
ノースポンサーだったところから、人気が出て、ameblo移籍ってとこなのかなあ。相変わらずワンアンドオンリーなブログで、ベリーインタレスティング!
22日にサイン会だって。俺、行けないので、ベリーサッド。

夜中2時半。知らない少年と知らないおじさんと、3人でラーメンを食べた。
少年は24歳。
路上で似顔絵を描いて生活している自称ミュージシャン。
名前は知らない。
おじさんは58歳。
定年間近の、警視庁で働く国家公務員。
名前は忘れた。
わたしは32歳。
仕事を辞めたばかりの、いわゆる自宅警備員。
なんとなくいつからかなぜなのかはわからないけど、フィード購読してるトミモトリエさん。
で、その方の裏ブログがあることを則天去私で知るとともに、このナイトクルージングなエントリーにキュンときた。
なんか、山本浩資監督のランデブーを思い出した。
最近こういう冒険してないな。
もっと冒険しよ。
勝手にブログ評論などといっておりますが、想像以上に勝手です。URLをぽちっとポストするだけなので、不安な方はご自身の責任において止めてください。僕のブログはこんな感じだそうです。
ありとあらゆる事実が、デニーズの必要性を裏付けている。
総合得点 10点
敗者復活のようであるとも言える。それは超高速バトルカードヒーローなのだと言える。メルローの渋味を楽しめるようになるには、意気揚々というワインをじっくり熟成させなければならない。出来レースが欲しいなどというのは、要するに、田舎っぺなのだ。皮肉なものだ。私なら、プレイ出来ちに生涯を捧げるだろう。あと10年若ければ。
もう隠す必要はない。作者の人柄がロボットという表現ににじみ出ている。少なくともコンディションはあって欲しい。どうだろう。アゴーレーは必要ないだろうか。一度でも k.n.ポッドキャストの魅力に取り付かれた事のある者ならば、誰もが4トラックの気持ちを共感できる。、これが例として相応しいかは解らないが、作者の 10年目に賭ける情熱は、シャーロック・ホームズに勝るとも劣らないようだ。こいつはどうしたことか。まさか今後本気が後々開陳になってしまうとは。愛しているわけだ。スタジオを。オーストリアは偉大な芸術家と、忌むべき独裁者と、立ち上げを産んだ。匂い立つ美女、というのが居るように、匂い立つパソコンというものがある。注意点としては、必ずオランダ製のチュートリアルを使う事。できればアムステルダムのものがいい。時にはペイズリー柄の滅茶苦茶上手も悪くない。かけがいのないものはひとつのレッテル。けれども人はかけがいのないビックリをもっと沢山喪っている。ボリビアの民族はモンローを大事にするという。作者はここで愛を説くが、愛などそうそう簡単に語られてはたまらないのだ。サンドウィッチマンはあきれるほどエモーショナルだ。スイスの高原で極上のチーズとよく熟成された来年以降を頂くのはたまらない。時にはギリシアの砂浜でキングコングを愛でるのもいい。それほどまでにサンドウィッチマンなのである。どうだろう。+顔+声量もそうだ。
本質的に「プレイヤー」的視点と「10年目」的視点は相容れない。
ダウンロード違法化に関してクリッピング。これは良い指摘。
そもそもグーグルの本当のアドバンテージは情報発電所だ。それ以外のことは全部真似できる。真似してうまくやれば、グーグルよりたくさんのアテンションを集めることは可能だ。しかし、それを処理するには情報発電所がいる。分散ファイルシステムから、数十万台のサーバの電気代を節約する方法まで、グーグルには情報発電所のノウハウが集まっている。
世界規模でスケールアウトする、そういうノウハウを理論でなく実践で試せる場はグーグルしかない。
その情報発電所という基礎技術に対抗できるものはP2Pしかなくて、その技術を理論でなく実践で試した人が日本にいて、このタネを育てていけばP2Pの分野で日本は完全に先進国になれたはずなんだけど、それをつぶしてしまって、次はこれですか。
般若のブログ。
ブログっていっても単なるブログじゃなくて、エントリーをラップで投稿するというボイスブログの一種。
トラックもエントリー毎に変えてる。
こういうのってやったもん勝ちだよな。
海外とかではやってる人いそうだけどどなたかご存知?

このバカみたいに格好良いデザイン!ざらついた質感が、好みです。
