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南瓜とマヨネーズ

大昔、稲田堤に住んでいた頃、間違って終電間際の京王線の車中で読んで泣いた。以来、漫画をあまり読まない俺にとって困ったことに思い出深い一冊となってしまった、魚喃キリコ『南瓜とマヨネーズ』。(俺は岡崎京子『リバーズ・エッジ』でも同様の号泣事件やってて、どっちが京王線の車中だったか忘れてしまった。まあいいんですよ)

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映像化するのは冨永昌敬監督。あの『亀虫』の人ですよ!というところから若干アップデートされていない情報を片手に映画館。何で泣いたのかも忘れてしまうぐらい遠い昔のことで、この映像化が原作に忠実なのかもちょっと曖昧なんだけど(確か、売春バレるシーン、原作ではもっと後ですよね)、相変わらずベロベロ泣けたし、相変わらず何で泣けたのかよくわからない、っていうのが特徴的なのかも。目の前で行われてるのは、セコくて、超小さい話なのに、何か大仏の手に鷲掴みにされているような、自分がコントロールできない感覚に襲われる作劇なのだ。

おそらく、目には見えないような小さな積み重ねがあったのだと思う。いくつかの別れがあり、いくつかの挫折がそこにある。それに加えて、ごくごくささやかで、将来のこともよくわからない、でも確かな「再生」の光があって、そのカタルシスに心揺り動かされるのかもしれない。しかし、被支配者の弱みだね、これについてはちょっと降参だ。

登場人物は、みなちょっとずつ嫌な奴で、みなちょっとずつ良い奴。なんでもない景色や、必要以上の「平凡」を提示することで無理矢理勝ち取った「普通」ではなくて、「幸せ」と「不幸せ」の間でグラグラとバランス取りながら、不安定な「普通」を見せるやり方、ちょっと乱暴だが面白いアプローチだと思う。リニアなのではなく、全て力関係のバランスの中で成立する「普通」。

「親の七光」から最も遠いところにいる二世役者(というか、俺は中野英雄を軽視しすぎなのかもしれない)=大賀の実力や、何らかの天罰が下り、どうしようもなくハゲ散らかしてくれたら溜飲も下がるだろうにと感じざるを得ないハギオを演じるオダギリジョーの説得力。そして、何と言っても、臼田あさ美。実在感は役者がみんな保証してくれるこの安心感。

特に印象深かったのは立ち飲み屋での別れのシーン。「自ら別れを切り出す」ことでマウントを取ろうとするツチダに対して、「俺はいいよ」と取り付く島もない。執着もないので、その地獄の時間をつまらなそうに切り上げるための「ビール、キャンセルで」。のらりくらりとペースを掴み始めたタイミングで再注文されるビール。ビール瓶の往復が、激しい心理的駆け引きを暗示している。キリキリするような緊張感が、臼田あさ美とオダギリジョーの一見力の抜けた演技の中からにじみ出てくる。

不毛な取引。その果てに再生される、ある「精神」。本当に取るに足らない小さなクリエイティビティが、二人きりの空間で立ち上がる時、今まで対等ではなかった関係性の美しい着地点が見え、これからどうなるか将来の保証はないまま、ただそっとランディングする打ち上げ帰りの明け方。アスファルトはちょっとヒヤッとしているみたいで、俺はこんな光景を過去に何度も見ているのだった。

せいいちが、最初に棚を作った時の可愛い笑顔と、最後に曲を聞かせた時の可愛い笑顔が、同じ種類の笑顔だった。

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