キリル・セレブレニコフ『ザ・ステューデント』を鑑賞。
突然、ファナティックなキリスト教信者になってしまった主人公、という「状況」が唐突に切り取られる。都合良い聖書の切り取りをパッチワークのようにして構築される主人公の行動同様、この状況も「文脈ゼロ」の姿勢として描かれる。聖典の後ろ盾を得て邪悪なガキと化した主人公の暴論は、一般人の嫌悪と得体の知れぬ羨望を呼んで黒い光を放つ。彼は、性教育を、進化論を、教会を、悪し様に批判して溜飲を下げる。まるで聖書の効能と欺瞞をテーマにしたコンセプトアートのような風情を感じたのだが、そんなものをここまで引きのある物語に仕上げたのは流石の才能だと思いました。
いつの間にか、ステートメントが積み上がっている。そんな石碑のような状況を目指して。
今日は、例えば炎の単独(正確には、エレガンス、傀儡兄弟とのスリーマン)配信を観ました。「田上が1秒喋って、タキノが20秒喋る」スタイルではなく、田上がすごく頑張ってたのでよかったです。
Toro i Moiは毎回ちゃんと響く一曲を作ってくるから嬉しい。割とループで聴いています。Panda Bearはちょいお預け。
むすこが塾で一年間かけて作ったゲームをプレゼンする大会に出場するために、中目黒へ。一年間みっちりと制作した自作のキャラクターを使った育成ゲームで、プレゼンの準備も頑張った甲斐あって、当日は立派にプレゼンできたのでちょっと感動してしまった。同じようにプレゼンした他の子どもたちも、すごく立派に練ってきているものもあれば、全然準備不足のものもあり、帰宅してからしっかりダメ出ししていたらむすこが引いていた。むすこのプレゼンも、練習の際に夫婦で色々ダメ出しをしていて、それでちょっと凹んでいたりもしていたので、それ以上のダメ出しを聞いて俺たちの基準を理解したむすこは、ちょっとホッとしていたんだろうと思う。お疲れ様ってことで、評判のいい中目黒のメキシコ料理の店に行ったら、チーズがどぎつくてちょっと胸焼けしてしまった。
『スキナマリンク』すげえ観にいきたいんだけど、グッと堪えて今日は『ファーストキス』を観に行きます。TOHOシネマズの無料券が明日までやねん。
最近、マジで例えば炎の動画ばかり観てる。
この敗者復活動画でひとしきり爆笑した後、本人たちによる解説動画を観る。
全くウケていない8階建てのアパートの件で、50秒使い、挙句タイムオーバーしてるの面白すぎる。タイムオーバーの警告音なってるのに、全く必要のない「来いよメン来いよメン」繰り返してるの面白すぎる。こういうほころびにしか未来はないよ、本当に。
Mamalarky - "#1 Best of All Time"
Mamalarky新作がエピタフから出るっつうんでちょっとびっくりしてたんだけど、アルバムに一曲は差し込まれる脱臼したまま大爆走するような曲がファーストカットで最高な気分に。Mamalarkyって、Livvy Bennettのソロ作的に作られる(多分)ホームテーピング的な曲と、ぶっといリズム隊と色彩豊かな鍵盤奏者に囲まれて弾きにくいコードを力技で展開していくタイプの曲、大きく分けると二種類あるんだと思うんすけど、これは後者。特にリズム隊はどんどん良くなるなー。
ホリー・ジャクソン『卒業生には向かない真実』
大傑作ミステリー『自由研究には向かない殺人』から始まった三部作完結編。二作目『優等生は探偵に向かない』は流石にパワーダウンしたかなと思わせるも、いやいや単体で見たらかなり手の込んだミステリーで満足度は相変わらず高かった。
ほんで本作。一気に読み終えてしまった。この呆けてしまうようないつもの読後感よ。大傑作。一作目とは全く違う意味で。
ネタバレを避けるとほとんど何も言えないのではあるが、しかしながら、こんな展開になるとは誰が予想できるのか。こういう作品は確かにさほど目新しいものではないが、ピップ&ラヴィをはじめとする リトル・キルトンの愉快なメンツに心底愛着を持った状態の我々に対してこれを仕掛けてくるのは心底大胆だと思う。すごかった。
謝辞で著者が「わたしを信じてくれてありがとう」と述べている通り、よほど信頼していないと読み進めるのもきついダークな展開。ホリー・ジャクソンはとても倫理的な作家だと思っているので、俺はそこに賭けて読み進めた。ラスト一ページのカタルシスたるや。確かに次作はほぼあり得ないと思うし、それが心底寂しいのではあるが、堂々たる完結編でした。ほんと、この街は、闇が深すぎたぜ。
あと二曲、何にするか迷っている状態。英語で書いていると、貧弱なボキャブラリーに比例して視野が狭くなるので、同じテーマで日本語なら何を描くか、自由に書いてみる。その発想を英語詞に生かしてみる、という連続で作詞作業が進んでいく。
人生について色々考え期。にしても色々なことを進めている。音楽は、次に進みたい欲をグッと我慢して、一通り歌詞を書ききる期間。2月末までには、すべて書き切る所存。それが終わったらドラム録り。新しい楽器も試しつつ、4月からは秘密の儀式が…。
アンソニー・ホロヴィッツ『死はすぐそばに』。アティカス・ピュントシリーズや、ホームズなど、文句 言いながらほとんど読んできたが、ホーソーンシリーズのみならず、ホロヴィッツ史上最高傑作なのではないかと思う。ホーソーンシリーズの一番の欠点は、ホーソーンがとにかく嫌なやつで、いくらなんでも愛着を抱けない、というところにあると思う。本作はそこが見事に克服されていた。しかも、今までと態度を一切変えることなく。
トリックについても、至るところに不穏の影が仕込まれていて、しかも最後にはそれらが見事に像を結ぶ。素晴らしい読後感でした。
先週の金曜日から、普段に比べて、人とたくさん会って話す機会を得た。パンポテ解散に伴ってお笑いの話から、陰謀論の話。げんき映画の会で、映画の話。前の記事にあった会もそう。普段から考えていることが、頭の中で拡張されたような感覚がある。
その流れでSubstackを触って、あまりに近未来的なPublication(出版)のあり方に衝撃を受けた。そのまま、しばらくSubstack内で記事を読んでいて思ったのが、結局どんなサービスが出てきても、Twitterがイーロン・マスクの手によってボロボロにされたように、経営方針や社会情勢に応じて形を変える以上、自分(たち)の場を仮託することはできないということ。要は、インディペンデントであり、オルタナティブであり続けること、いつまでも主観の場であり続けること、というのがとても大事。Claire RousayがSubstack内でそんなことを書いていて、まさに我が意を得たりの感触 があった。