日本映画界の重要な映画監督の一人。独特の映画スタイルで知られ、60〜70年代に活躍した。ヌーヴェルヴァーグの影響を受けつつも、独自の映画美学を確立。『狂熱の季節』や『すべてが狂ってる』などの作品で、社会の歪みや人間の内面を鋭く描き出した。映画における演出と心理描写に独特の才能を発揮し、日本映画の新しい可能性を切り開いた存在。
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なんか、普段と雰囲気違わない?このLaura Marling。髪型?

明日はライブなので、午前中にリハを済ませてしまう。家のギターアンプでセッティングを組んで、最終チェック。ソロの場合は頼ることも責任を押し付けることも出来ないので、ナーバスになってしまう。そんな時に、DOMMUNEのナゴム特集は助かった。俺も、やりたいようにやろう、と勇気が出ました。
鈴木清順『すべてが狂ってる』を鑑賞して眠る。『狂熱の季節』から一転、川地民夫は元々優等生だった男が堕ちていく姿を演じていて、昨日の獣性はどこに行ったのだ。好きな役者にやりつつある。ただ、本作は共演の祢津良子が大変良い。ちょい役で登場する吉永小百合にも(あまりに清楚すぎて)びっくりさせられるが、本作に関してはこの祢津良子のコケティッシュな魅力が優っている(吉永小百合、マジで一瞬しか出ないので…)。一見何の関係があるのかよくわからない立ち位置で物語をかき乱す中川姿子もよかった。女優に恵まれた映画だ。
結局、本作の主人公である杉田は、マザコンを拗らせまくってる、ということなのだ。悪い友達からの誘いも断って、甘味を持参して母親の下に帰るような男である。その母親が、自分の父親が亡くなった戦争に戦車を供給していた会社の人間とデキているという事実が、ずーっと引っかかっている。その拗らせが、連鎖的に悲劇を導いてしまうという悲しい物語。鈴木清順の演出は割と保守的に見えて、この時代においては藏原惟繕の方がずっとやべえ演出していたのだという事実に驚きを隠せなかった。
