先週の金曜日から、普段に比べて、人とたくさん会って話す機会を得た。パンポテ解散に伴ってお笑いの話から、陰謀論の話。げんき映画の会で、映画の話。前の記事にあった会もそう。普段から考えていることが、頭の中で拡張されたような感覚がある。
その流れでSubstackを触って、あまりに近未来的なPublication(出版)のあり方に衝撃を受けた。そのまま、しばらくSubstack内で記事を読んでいて思ったのが、結局どんなサービスが出てきても、Twitterがイーロン・マスクの手によってボロボロにされたように、経営方針や社会情勢に応じて形を変える以上、自分(たち)の場を仮託することはできないということ。要は、インディペンデントであり、オルタナティブであり続けること、いつまでも主観の場であり続けること、というのがとても大事。Claire RousayがSubstack内でそんなことを書いていて、まさに我が意を得たりの感触があった。
「実験的にポッドキャストを録ってみよう」とオンラインで集まり、結局喋りがダラダラし過ぎているため、ポッドキャストとしては使えないが、とにかく視点が整理できてよかった。背景に「徐々に明瞭になってきた、加速する資本主義への恐怖」があり、その上で大事なものを指折り数える。主観の大切さ、「ほころび」、不安を愛すること。
俺ら世代には断然『Endless Summer』だが、Fenneszの新作が良いというので、聞きながら作業している。
ライナル・サルネ『エストニアの聖なるカンフーマスター』/世界中から礫を受けても
そもそも、ここに「女」の影はあったのか。革ジャン三人組のカンフーマスター。担いだカセットデッキで再生するブラックサバスをバックに、ソ連国境で大暴れする長髪グラサンの彼らからヌンチャクを授かった主人公。その日からカンフー道の明け暮れ。異様にノリの良いソ連製ディスコミュージックをバックに大暴れするも、返り討ちにあってボコボコに。それから色々あって、カンフーやっててかっこいい修道院にお世話になることに。
マジで、登場人物たちの行動原理が一から十まで理解できず、「今は、何をどうするために何をやってるんだっけ?」と終始迷子。魚屋にタコ買いに行ったら 、コンクリ詰めされてるような気分。画がバッキバキに決まってる分、そこに何かあるはずだと信じて開いた扉の向こうには…何もない。しかし、虚無ではない。とにかく芳醇なから騒ぎが120分近くフル尺で繰り広げられるのでたまったもんじゃない。大好きだ。全ての映画、このテイストで作り直してくれ、とおかしな妄想に囚われてしまった。『テネット』とか、このノリで作ってたらもっと面白かったはずよ。エリザベス・デビッキを缶詰のトマトぶち撒けた上に座らせてさあ…。
世界観の鍵を握るサバスの使われ方は極めて記号的で、実際の劇伴はもっとマヌケな電子音楽の世界。超絶かっこいい(予告編もこっちのノリの方が良かったのに)。クレジット見たらgoatの日野浩志郎さんとDMBQの増子真二さんが担当とのことで、どういうこと??好事家には『痴漢ドワーフ』とか思い出していただければ。特にエンドロールで悶絶したわ。もう決めた。皆が石を投げても、俺は全力で庇うよ。
進めていたレコーディング、ついに今日、全部のベーシックトラックが出来上がる(すごい!えらい!)。しかし、わだすたちの場合、ここからが本番。いつもは、ベーシックトラック作って、歌詞書いて、メンバーに各々楽器録音してもらったの集めて、編集して終了、なんだけど、今回は、ここから歌詞書いて、メンバーと録音したりしながら、同じように4トラックのMTRでレコーディングして、隙間に出来た曲を別トラックに展開してサウンドトラックを作り、いつもの長い長い編集を経て、別々の曲にバラしてから、再度配信用のレコーディングを行う(予定)、という長い道のり…。まずは、一曲、配信シングルとして夏前に公開するのを目標として動く。
Mount Mural - World
今日はこの曲を一日聴いていた。オープニングで淡々と盛り上げて行く手法が好ましいなあと思う。全体の平熱さが際立つ。4年前の曲なんすね。
金曜日は、久しぶりに出社してから、コンセントさんがCINRAやFlatさんと企画した勉強会に出席。CINRA時代にお世話になったエンジニアの方々と久しぶりに会っておしゃべり。飲んで帰りたかったが、むすこが一人待つ家に。iPadでアニメを作っていたむすこに、「寂しかった?」と聞くと「全然」との回答。巣立ちの時は近い。
土曜日は、一年ぶりに叔父さんの家にお邪魔。直近、池松くん仕事だったらしく、その話をちょっと聞いたり、最近観た『ふ・た・り・ぼ・っ・ち』のことを話したりした。どうやったらあんなもんができるのか?と思ったんだが、やっぱ出だしはどうでもいい話だったみたいで、それがなんであんなにエドワード・ヤンに肉薄してしまうんだろうねえ。お年玉で現金掴み取りに挑戦したむすこも大満足で、楽しく飲んで、楽しく帰った。
今日はむすこがなかなか起きてこなかったので、ひとりで『敵』と『ストップモーション』を観に新宿へ。どちらもタナトスに訴えかける傑作だった。
クレイアニメと実写の融合という側面から言うと、レオン&コシーニャ的なものを想像すると肩透かしで、アニメ作家がゴリゴリに追い詰められていくホラー的に状況において、オブセッション的に導入されるアニメーションなので、まあ、めちゃくちゃ怖いしキモい。終演後、後ろの席の女子高生が「ぐろ…」って呟いてた。幸多かれ。
最近、Apple Musicで友達の聴いている曲がプレイリストになっていることに気付き、たまに聴いている。耳の良かった友達は、今でも断然耳が良く、こんなんどこで見つけてきたんだ?というような66年の素っ頓狂なフリージャズや、71年の電子音響ジャズ、81年の謎ファンクを引っ張り出してくる。いつまでも刺激的で叶わない、と実感。俺には、精進の余地がある、と嬉しくなる。
そんな中、俺も大好きなKarin Krog - The Meaing of Love。久しぶりに聴いた。この辺のジャズに、ここ数年かなり影響されている部分がある。白人と黒人の身体性が混じり合った感覚。この盤に関しては、ジャケットとかからもどことなくペイガニズムすら感じさせる。そう考えると、シャーマニックなボーカルが、リズムを走らせている後半に、異様な高揚感を感じてしまう。
ケン・ローチ『夜空に星のあるように』を観てから、レコーディング。次作は、全部でA・B面合わせて24分の作品 になりそうだなあ、と目算が立ってきた。既に、高揚の兆しはそこここに芽生えている。
今日はやるぞ、と決めていたので、朝から『ドラクエ3』を頑張って、昼頃にゾーマを倒した。クリア後の展開は、少し一息ついてからと思って。レベル上げが無性にやりたくなるあれ。あの状態がいずれ来るに違いないと思ってるから。
毎日のレコーディング。昨日は4トラックで一曲録り終えたが、よく考えたらそんなことしている場合じゃないぞ、と夜中に思い、今日。結局、バンジョーを録音してた。自分が今やらなければいけないことと、それを邪魔する自分、というのが今のレコーディングのテーマでもある。完璧に混乱した状態のまま、録音は袋小路に向かって快調に進んでいる。
夜に、こたけ正義感『弁論』を視聴する。弁護士業界や、法律の勉強を題材にした小気味良い漫談として、「60分もこの調子で。よくできてるよねー」みたいなヘラヘラとした態度で観ていたら、後半で様子が変わる。ここまでシリアスな題材を扱っていながら、笑いが絶えないという、このバランス感覚。よく考えたら、「副業:お笑い」タイプの芸人として舐めてかかると、いつも良い意味で裏切ってくるこたけ正義感。その見事なバランス感覚で、お笑いも社会性も成立させてみせるスキルは、ここに結実している。15日まで無料公開なので、観ておくと良いですよ。かっこよかった。
むすこの塾で吉祥寺へ行くいつもの日曜日。妻と井の頭公園を散歩してから、パルコの古本祭りで何冊か購入した後、そのままジュンク堂で現代アメリカの政治情勢についての本を買う。むすこをピックして昼飯を食ったら、美容院に行く妻と別れて、新宿のビックカメラ。むすこがガチャガチャ物色している間に、ダイナミックマイクとモニターヘッドホンを溜まっていたポイントで購入。二人でバルト9で『ビーキーパー』観て大満足。帰宅してから、麻婆豆腐作った。良い週末。
有言実行で、今年は毎日レコーディングしてる。普通にやれば2ヶ月もあれば完成する音源なのだが、今回は手法から吟味しているのでやたら時間かかる。まあ、いつものこと。音の良し悪しを度外視して、アイディアを形にする速度に賭けています。
『どうすればよかったか?』
昼は一時抜け出して、テアトル新宿で話題の『どうすればよかったか?』。今年、映画館初め。統合失調症の娘を抱えて四半世紀を生き抜いた監督の両親。少しずつ歳をとっていく三人を捉えるカメラのこちら側、私たちと同じ方向から家族を見つめている監督もまた、同じように歳をとっていく。その事を意識してしまって、少し気が遠くなった。
とんでもないことが起こることを「爆発」と定義した時、この映画の中の状況はじっとりと重油が染み込んで重くなり、前にも横にも進めなくなってしまった「事態」。酷く恐ろしい時の流れが描かれるのに、邪悪な人間は存在せず、我々と同じ普通の人が常軌を逸しているという結果だけが延々と映し出され、遠く離れた監督がそのほんの一部を炙り出す。そうした「カリフォルニアから来た娘症候群(突然遠くからやってきた親戚が、家族の問題をめちゃくちゃにしてしまう現象)」的な側面もあり、「どうしたらよかったのか?」という設問は、まずは両親に、次に監督、そして我々観客に、それぞれ投げかけられることとなる。
「どうしたらいいのでしょうね?」という『システムクラッシャー』と近い発問が、タイトルとして投げかけられたところに重要な価値があるし、この映画が多くの耳目を集めた勝因だったろうと思う。個人的には、父親の最後の言葉(当然、そう思っているだろうと感じた)以上に、「論文」に固執した姿に衝撃を受けました。
余談ですが、序盤で映し出された監督の大学時代の写真に、まんじゅう大帝国のツッコミが突然 立派な髭を蓄えて現れた時に似た衝撃を感じてしまい、ちょっと笑いました。終始重苦しいこの映画、一服の清涼剤となった。
ガッポリ建設の出た『ザ・ノンフィクション』観たよ。誇大妄想的、利己主義で怠惰、という生きづらさを抱え、色んな人に迷惑をかけながら図々しく生きていくクズ、という建て付けで観ると邪悪なエンターテイメントとして楽しめるのだが、俺は結婚してなかったらこの人に近い生活だったんだろうな…と異なる世界線の自分に想いを馳せてしまう。一緒に見ていたむすこに、この人の何がダメなのか、を解説しつつ、「クズだったとしても、自分の好きなことに夢中な人は、それでも魅力があったりするんだよ」ということも教えた。この人がダメなのは、怠惰に負けて、好きなこと(お笑い)にもきちんと向き合えてないところだよ、と思った。
Mk.gee - Rockman
最初はGotye的な「Stingの擬似息子」な側面もあって「おや?」と耳を傾けたんだけど、今時ここまで真正面から「ギター」なる楽器に向き合った音源も珍しいなーと思った。この映像見ても、発想としては極めてミニマムな構成で、宅録の風情が漂っていてとても良い。シンプルだけど歌詞も良いと思った。Frank Oceanが取り上げていた1stアルバムの頃は、そこまでの特異性はなく、ただ良い密室R&Bって感じだったのだが。
私用が立て続いて、なかなか仕事に取り掛れなかった日。ようやく本腰入れると、うわーやらなきゃいけないこと全然終わってなかったー、と焦って、終業後も色々タスクこなしてしまう悪循環。就業時間に集中しましょう。
Georgia Gets By - Madeline
なんとなく、Georgia Gets Byのアルバムを繰り返し聴いてしまった。そもそもこの人の所属しているBroodzっていうデュオも知らなかったのだが、妙に洗練されたポップスにポッと出じゃねえな、という雰囲気を感じた。強烈な引きがあるわけではないのだが、フックが効いていて、気づいたら癖になってる感じ。
そうこうしてたら、突然22%オフになってたもんで、溜まっていたAmazonポイント使って、いつの間にかマイク買ってた。
『エイリアン:ロムルス』
Disney+で、『エイリアン:ロムルス』を視聴して、めでたく今年も映画初め。映画館で見逃したのが悔しい、ただただ楽しくスリリングに観れた。娯楽映画はこうでなきゃなー。
流れ的には1の焼き直しになっていて、これはおそらく意図的。『プロメテウス』以降の起源掘り起こしもの=「マイケル・ファスビンダーの『エイリアン』」も好きだが、この手のドキドキスリラー活劇、vsゼノモーフの『エイリアン』にも続編があって良いと思った。こんなん、いろんなパターンできそうですよね。
『プロメテウス』以降(ちなみに俺は、3と4が未見である)に改めて明らかになった「ウェイランド・ユタニ社」に代表されるディストピアSF的な「道徳ゼロ」空間が、背景として効果的に機能している。前半の肺を病んで死んでしまうぐらい過酷で文字通り「光のない(厚い雲が太陽を隠す)」植民地の描写も心底絶望的で、その強烈な圧で飛び出してしまうような、そんな不可抗力が若者たちをゼノモーフやフェイスハガーたちのたむろする廃墟となった宇宙ステーションへと誘う。この辺の導入も見事。
重要なキャラクターであるところのアンドロイド=アンディと、主人公のレインのつながりの強さが物語の重要な鍵を握っているのだが、アンドロイドは元々ユタニ社のものなので、操作一つで簡単につながりは断ち切られてしまいそうになるという設定の妙がある。ただ、このつながりが、物語の都合に合わせて強度を変えてしまうところが難点かなーと思う。命顧みないレベルのつながりがあると見せかけて、「あれ?そんなにあっさり見捨てていいの?」と不可解に思える主人公のムーブはちょっと気になった。(難点で言うと、編集の結果、とんでもなく意味不明になってしまったシーンがあって、あれは逆にちょっと笑ったかな。ゼノモーフから銃を持って逃げるシーンの切り替え部分)
とはいえ、何度も何度も観て、もう慣れてしまっているシリーズにおいて、登場シーンでハッとするほど不気味だったり恐ろしく感じられる描写があったのは素晴らしい成果。終盤の展開も、「ユタニ社はマジでこれ、どうするつもりだったんだ…?」と会社の判断にも特大の疑問符が投げかけられるぐらい盛大に歌舞いていて、いやー楽しいパニック映画だった!この路線でもまた一つ!