渇き

何度か語っている通り、韓国という国が如何にしてかのごとき成熟したポップカルチャーを有するようになったのか、不勉強にして分からないのだが、とにかくこと映画において、かの国の洗練は凄まじい域に達している。例えば、日本でも黒沢清(この「渇き」という映画において、この日本が誇るホラー映画の巨匠との関連性を見いだす人は多いのではないか)や北野武といった一部の映画監督の作品を抜き出せば、他の国の映画ファンからすれば日本の映画産業にも確かに洗練が見いだせるのかもしれないが、それはさておいてもそろそろオリエンタリズム的な観た事の無い何か、を目の当たりに出来る機会として、韓国映画を捉えた方が良いような気がする。

「JSA」等で知られるパク・チャヌク監督の「渇き」。人気俳優ソン・ガンホ(そもそも韓国では彼が劇中でも語られているような「美男子」として捉えられているのかも大いに気になる)を主演に迎え、神に仕える神父が吸血鬼になり、エロティシズムと暴力の狭間で翻弄される様を描いた作品である。

しかしここに表現されたイメージの数々はあまりに瑞々しく、観客は先に挙げた「オリエンタリズム」をフックにしないと語り得ないような、サイケデリアの洗礼を浴びる事になる。ウィルスに冒される瞬間のカットアップや、ある男性の死を巡る妄想と現実の描写、そしてラストシーンに至るまで、過剰な故に滑稽さすら帯びたサイケデリックな表現がそこかしこに現出する事になる。

特に、主人公との交流を通して変貌していくヒロインのイメージは、女優の魅力と相まって、この映画を唯一無二のものに昇華していく一つの重要なファクター足り得ている。疲れきった都会の人妻が、妖艶な女性に変貌を遂げる時、物語はその足取り同様に転げ落ちるような不可解に転落していく。

僕にとっての「ツィゴイネルワイゼン度数」の高いこの作品。ボリス・ヴィアンのようにシュールで、マルクス兄弟のように滑稽、観た事の無いようなエロティシズムを有し、日本の怪談のように恐ろしいこの物語は、恐ろしさの中に笑いがあり、弛緩の中に緊張がある。結果として非常に良質なエンターテイメントでありながら、新種の想像力を提供する装置足り得る。唯一、人間の理を以て進行する義母による断罪シーンの壮絶な、あまりに壮絶なオチを目にした時、娯楽映画の新たな扉が開いた音が聞こえたよ。

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