Seed

デトロイト

「白人が悪い」とか「黒人は可哀想」みたいな反レイシズムを装ったセンセーショナリズムから千歩以上の距離を取り、堕落した人間も堕落した行為も、それを可能とするコンテクストは確かに存在するのだ、と明言する姿勢。60年代にデトロイトで起こった暴動の中で起こった「アルジェ・モーテル事件」を題材にしたキャサリン・ビグロー監督作『デトロイト』ではそんな姿勢が貫かれている。

不満を抱えた黒人達が暴徒と化すデトロイト。アルジェ・モーテルで起こったおもちゃの銃の発砲騒ぎに端を発する、殺人を伴った暴力的な尋問が物語の核。白人の無能な警官たちが暴走し続ける様を執拗に描いている。2〜3秒で細かくリズミカルにカットを割っていく編集で、セリフや音はカットをまたがって持続していたりするので、ストーリーは淡々と進行しながら画的な緊張感が持続する。手ブレの多い撮影スタイルも、その緊迫感を煽る。

群像劇なのでスポットの当たる登場人物は多く、フィン役でおなじみのボイエガをはじめ、『God Help The Girl』のハンナ・マリーや、ファルコン=アンソニー・マッキー、白人警官役に『シングストリート』のお兄ちゃん役ジャック・レイナーなど、結構豪華なキャスト。そんな中、全く知らない俳優だったが、多くの観客を不快にさせ、その無能さを全世界にアピールしたであろう白人警官フィリップ役ウィル・ポールターの演技と顔(というか、特徴的な額)には大いに惹きつけられた。その誰もが全くハッピーにならない。(ボイエガのエピソードは、その後も含めてもう少し掘り下げて欲しかったと言うのは本音)

果てしなく胸糞の悪い話だが、地獄という名の現実は「いやーーー気分悪かったけど、まあ、これにて一件落着…?」と油断する俺たちを更に痛めつける。そこにあるのは、差別、無理解、拒絶。その果てに現れる今日にも通ずる理不尽な光景こそが、センセーショナリズムでは描くことの出来ない「寂寞」なのだろうと思う。

終盤、エンドロール手前では、この手のよく出来た実話もの定番の、「あ、これ…実話だった…んだよな…」というズッシリとした実感を味わえる。ザ・ドラマティックス、実在するのね…とか。結局、その「実在した」人達が、俺たちと同じように少しずつ間違え、少しずつ正しさに縛られたりした結果として、この理不尽な世界はある。

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