プロレスは、単なる格闘技ではなく、ドラマチックなストーリーと肉体的な芸術性を兼ね備えたエンターテインメント。父と息子の葛藤、夢、挫折といった人間ドラマを内包し、選手たちの生き様や感情の機微を描き出す。映画『アイアンクロー』が示すように、プロレスラーの人生は時に悲劇的で、家族の絆や夢の追求、苦悩を映し出す鏡でもある。
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ショーン・ダーキン『アイアンクロー』/抑圧された「涙」の行方
プロレスには縁遠い流石の俺でも知ってるフリッツ・フォン・エリックの「呪われた一家」。観ながら、帰ってWikipediaを読むのがこんなに楽しみになった映画も久々。悪役レスラーとして名を馳せた自身の夢でもあったチャンピオンベルトを、息子たちに獲得させるため、問答無用の圧をかけるフリッツ。その後、息子たちに降りかかる凄まじい不幸の連続は、しかし父親の所業が原因なわけでもないし、信仰に篤い母親のせいでもない。
確かに「子育てにおける難事をすべて兄弟に丸投げして、「兄弟同士で解決しなさい」と告げるのは、いくらなんでも雑すぎる」と直接的な原因があるわけでもない不幸な結果からそう導き出すのはそこまで突拍子もない結論とは言えないのかも。でも、僕には「父親の育て方が悪かった」と高みから言い捨てて他人事にするのはどうしても気持ち悪いところがある。というのは、子育てって正解が見えないから。今、一人息子を育てている自分でも、この育て方が正解なのかもわからないし、何よりその答え合わせが出来るのは、最短でもあと7年後ぐらいの未来なのだ。
肉体改造の結果、類人猿のような顔になるところまで含めて、ザック・エフロンの凄まじい役作りが印象的な一本。対象的に描かれるフリッツとケヴィン、それぞれの子育て。広い庭でアメフトに興じる家族。真から仲の良い兄弟がフットボールをプレイしている姿と、現在の自分の子供達の姿を重ね合わせ、若い頃は決して父親が許さなかった人前での涙を、ケヴィンは堪えることは出来ないのである。