アメリカの映画監督で、独創的な映画スタイルと深い人間心理の探求で知られる。『ボーン・アパート』『ラスト・ピクチャー・ショー』『ブラックダイヤモンド』など、個性的な作品群を生み出してきた。社会の周縁に生きる人々や、カリスマ性と破壊性を併せ持つ人間像を鋭く描き出す映画作家として高く評価されている。
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ポール・トーマス・アンダーソン『ザ・マスター』/拒絶された獣、飲み込まれたカリスマ
何から何まで完璧なのに、肝心なことは何一つ理解できた気がしないのだ。新興宗教の実像を描いたポール・トーマス・アンダーソン監督作。きちんと理解できなかったところも含めて、何度か観てきちんと理解したいと思わせる。それだけの強度を持った作品。
出兵のストレスに起因したものなのか、それとも元々の気質なのかはわからないが、とにかく主人公・フレディ(ホアキン・フェニックス)の人格は決定的に破綻している。いつ、何がきっかけで爆発するのか、さっぱりわからない。「クール」と命名される正体不明の酒を作るが、人死にが出るレベルの劇薬で、ほぼ毒。そんなものを気に入って飲むやつは本人とマスター(フィリッピ・シーモア・ホフマン)しかいないのだが、その構図はフレディ本人とマスターの関係にも似ていて、「クール」同様、フレディを愛するものはほとんど存在しない。
退役した後、職を転々としているフレディは、マスターの娘が結婚式を挙げる豪華客船に向かって、丸めた身体を引きずるように一歩一歩近づいていく。カメラが彼にフォーカスを当てると船がぼやけ、船が映るとフレディの影がぼやける。そんな交わらない世界に、飛び込んでいくフレディ。そこで出会った新興宗教「ザ・コーズ」の教祖であるマスターに心酔し、彼の側近として行動するフレディだが、結局コーズ・メソッドを体得することはできぬまま、ただただ無軌道にその衝動を獣のように発揮するだけ。
海兵仲間と砂浜に作った大きな砂の女を抱き、虚しく眠るフレディは、強烈な性衝動を持て余している。女たちの輪の中で歌い踊るカリスマ=マスターの姿は、彼の中では全裸の女性達の中で滑稽な、不恰好な、不相応であって傲慢な肉体として映っているのだ。カメラ越しに対峙した客を無駄に追い詰めて大喧嘩するかつてのフレディと、にやにやとお追従しながら広報用の写真を撮る現在のフレディに、実は何の違いもない。どこからも拒絶された獣として、カリスマを飲み込もうとしている。