成長期の女性の自己実現や解放を描く概念。女性の主体性、連帯、自己肯定感を重視し、既存の男性中心社会への挑戦を象徴する。映画『ボトムス』のような作品では、女性たちが暴力や性的抑圧から自由になるための闘争を描き、フェミニズムの現代的な表現として注目されている。
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エマ・セリグマン『ボトムス〜最底で最強?な私たち』
Prime Videoでエマ・セリグマン『ボトムス〜最底で最強?な私たち』を観る。たびたび引き合いに出されている『ブックスマート』は確かに近くて、どちらも面白いんだけど、その面白さと主張のために 、細部が雑に作られているという点でもよく似てる。「ゲイの二人が憧れのチアリーダーとヤるために、女性版ファイトクラブを作る」という、何回反芻してもよくわからねえ話だ。あまりにノリと成り行きで進行していくので、立ち止まってよく考えるとどうしてそうなるのかわからない。なので「エモい」部分だけを抽出してしがむのが正しい向き合い方だと思った。
ここまでゲイという存在が物語の中で一般化してきた中で、そういう時代の「当たり前の流れ」と、マチズモやミソジニーの庇護化で男性優位社会に安住したい、という二種類の「勝ち筋」が存在しているアメリカの空気、みたいなものがパッケージされているのが、個人的には面白いポイントだと思った。そういう意味で、女子だけのファイトクラブの顧問に就任するミスターGというドレッドヘアーにタトゥーの黒人男性教官の存在が印象的。ファイトクラブに決定的なトラブルがあった次の日には、大きく板書した「FEMINISM」という単語に打ち消し線を書いて、トランプ的な男性優位社会のスローガンを掲げるミスターG。しかし旗色が変われば、「女性の時代だ!」的なぶち上げで、風見鶏的に動いている。
主人公のPJが一貫して共感しづらいキャラだったり、ヘイゼル演じる『ウィロー』のルビー・クルーズの演技力に頼り切ってしまい、当人のキャラクターが伝わりづらい構造になっていたり、そもそもジョックス的な幼稚な悪役であるところのジェフが、コメディ回しも兼ねているため、単なる致命的なバカにしか見えないとか、色々な問題はあるものの、やっぱファ イトクラブが立ち上がって、ガールフッドが完成する序盤の展開は、観ていてすごく楽しかった。