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はちどり

考えても考えても、やはり冒頭に立ち返ってしまう。

大きな集合住宅の9階。主人公のウニが買い物を終えて戻ると、ドアが施錠されており、家に入れない。「お母さん、いじわるしないで!」と声を荒げるウニ。しかし自分の家は一階上の10階だった。

階を一つ間違えただけで、居場所を失ってしまう。鍵をかけられたドア、鍵をかけられた窓、鍵をかけられた長持(これは部屋の奥に意味ありげに映るだけで流石に邪推か)。入れるはずの部屋に入れなかったり、閉ざされていたドアはおもむろに開放される。「私達は死んでも立ち退かない」という横断幕が破られるとき、境界の崩壊がそこにはある。

そんなセグメント化された世界。ウニは、彼女の視界に切り取られた小さな世界すらハンドリングすることが出来ない。自分の努力や行動とは無関係のところで、関係性は勝手に悪化したり、勝手に改善されたりする。「ハンドリング出来ない世界」とは、すなわち「階を間違えた自宅」であり、「深夜に閉められた自室の窓」であり、「死んでも立ち退かない」はずの門である。「立ち入り禁止」が、世界の断片化を象徴している。

スクリーンもまた、「切り取られた世界」の象徴だ。印象的なのは、食卓の描写である。ウニの家の食卓は常に、画面の左半分をたっぷりとした余白を背にした父が専有し、右半分の狭い領域に他の4人が窮屈に押し込められている。強固な家父長制にあった当時の韓国。食事は、父親の説教から開始され、それは時折暴力性を帯びた愚痴に変化する。

世界から切り離されているのではなく、分割された世界に隔離された存在としての、中学二年生。彼女の身に降りかかる出来事の多くはごくごく些細で、登場人物達にどのような変化がもたらされたのかすら判然としないことが多い。しかし、少女ウニの目には、細やかに変化し続ける人々の姿が見えている。耳の下のしこりと父親の動揺。割れた照明と呆けた母親の幻影。学期をまたいだ後輩の心。恋人はウニの眼前で彼の母親に引きずられて退場する。

「世界から拒絶されている」。漠然とした不安?焦りを前に、唯一心を開いた女教師との交流が、物語の張力となる。彼女に心を寄せ、彼女をある種「世界の入口」として捉え始めたとき、本作最大の事件が起こる。ハンドリング不能な大きな世界がまたしても、今度はいささか暴力的に、顔を覗かせる。その時、ウニが手にしていたものを、改めて思い出してみて欲しい。それこそが、世界の入口を開ける「鍵」なのかもしれないよ。

監督は新人のキム・ボラ。主人公ウニを演じているのは、パク・ジフ。美少女だけど美少女すぎない表情がとても良かった。惚れ惚れするほど凛とした女教師を演じるのは、ホン・サンス『それから』にも出演するキム・セビョク。父親役チョン・インギは、韓国映画を観ているとよく見る顔だ。

細やかさをキープし続けた2時間半の「小品」。原題『벌새』は「ハチドリ」の意だが、英題は『House of Hummingbird』。ハチドリは、花の前で必死にホバリングしながら位置をキープして蜜を吸うが、その姿が鍵を失くして部屋に入れない子どもの姿そっくりだと思った。

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