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男と鋼と女と/ジュリア・デュクルノー『TITANE/チタン』

ここまで異常な映画を観たのは初めてかもしれない。かなりの覚悟を胸に深夜の映画館に向かったのに、こんな事態になってしまって困惑している。かつて観たことがないだけではなく、ジュリア・デュクルノー以外の作り手がこんな映画を撮ることは、これからもないだろう。カンヌ国際映画祭でパルム・ドールに輝いたことも、ここまで来たら「当然だろう」とすら思う。

幼少期の交通事故の治療で頭にチタンプレートを入れたアレクシアは、病院を出ると車の表面を柔らかく撫で、口づけする。彼女の車への執着は、カーストリップのダンサーとして活動することで結実する。ある夜、熱烈に迫ってくるファンに口づけをしながら耳に長い髪留めを突き通して殺害すると、彼女は不吉な口づけを伴い、狂ったように次々と人を殺めていく。連続殺人が発覚し追い込まれた彼女は、自ら鼻の骨まで折って行方不明の男児の成長した姿を装うと、消防団の隊長ヴィンセントの息子アドリアンとして擬似的な親子関係を構築していくこととなる。

ホットロッドのボンネットの上でTwerkのようなダンスを踊り、車との交わりを予感させるアレクシアの姿。激しく痙攣して絶命した男が口から吐いた白い汚物をシャワーで洗い流す彼女のもとに、メタファーなし文字通り「訪れた」車と交わるアレクシア。やがて、彼女は車との子どもを身ごもると、洗い流すのは乳房や股間から流れる黒い油。

かくして誕生した、白く明るい「人間」が、重く黒い「鋼」に侵食され、寄生されるというメタフィジカルな状況。白い乳の上で黒く光るピアスは、アレクシアの愛撫の最中に噛みちぎられんとする。アドリアンの部屋にあるロボットのおもちゃの如く、鋼にコーティングされ「鋼の人」となった彼女は、髪留めのような凶器の耳や股間への侵入・通過を許さない。

炎に追い立てられるように出奔したアレクシア。鋼を身にまとう彼女の障害となる予感は、いつも炎によって打ち砕かれる。と、同時に、彼女が駆け込んだのは消防団であるから、炎は消される運命にある。己を破滅させようとする炎がかろうじて鎮火されると、新しい関係性が構築されていたことに気付かされることとなる。

消防団というホモソーシャルな集団の中で、女性であることを隠しながらアドリアンとして生きていかんとするアレクシア。対するヴィンセントは、彼女を自分の息子だと信じ込むと、薬を使って無理矢理維持している己の筋肉同様、彼女/彼の男らしさも作り上げようと試みる。「You know. What you know is better(Future Islands - Light House)」と歌われる中、アドリアンとヴィンセントは指を絡ませて踊る。この集団生活の中で偽りの男らしさを獲得していくアドリアンだが、それはヴィンセントの筋骨隆々たる身体にしても似たようなことなのである。そして、この奇妙な状況の中、男らしさ/女らしさの境界は急速に融解していく。

「男なのか、女なのか、鋼なのか」。こうして、ジェンダーも飛び越え、マチズモも内包した人間がもつれ合い、鋼を境にした男と女、異形な肉塊としてその「関係」はグロテスクな姿を曝け出す。予測できない展開に圧倒されながらも、終盤までたどり着いた観客は、この物語が不格好に転げ回り倒れて骨も折れながらもどこか決定的に美しい着地を目にする。そこで生まれた感情を「感動」と評しても間違ってないな、と感じていることに気付いて、改めて驚いてしまった。未だ咀嚼しきれずにいる。

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