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私は確信する

「赤の他人の無実を証明する」と覚悟を決めた日、事件の人間関係図を構築しようと一人息子の写真を壁から外す。その行為に、この物語が間接的に描きたいことが象徴されている気がした。実話をベースにした、フランスの映画監督アントワーヌ・ランボーの初長編作。僕は、オリヴィエ・グルメ見たさに鑑賞。

200時間以上ある通話記録から証拠を撚り出し、弁護士に手渡す。白い紙が家にないから、青い紙に印刷して。行方不明になった妻の殺害容疑をかけられた男を救うための行為が、生活を破壊し、息子を傷つけ、より固執してしまう。被害者の愛人であった男を犯人であると確信し、その確信に固執してしまうが故に周りが見えなくなる。映画は、法廷劇のサスペンスを軸に、正義感が故に妄執に囚われてしまう人間の綱渡りを描く。法廷のように、冷静に、一つ一つ。

実際の事件は未だ未解決で、この映画でももちろん一方的な結論や疑義を掲出することはないが、この物語は<未解決であることを認める>ための闘いを描いた物語である、という言い方が適切かもしれない。決定的な証拠を探り当てた主人公に対して、激昂する弁護士。その激昂の意味を、諭すように最終弁論として紡ぎあげていく姿は圧巻で、まさにオリヴィエ・グルメ劇場。これだけでも、観賞価値は十分にあった。

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