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精神0

想田和弘監督による「観察映画」第9弾。『精神』(2008年)の続編である本作では、精神病患者のケアに尽力していた山下医師が突如引退し、病気の妻との新しい生活を開始する。コロナ禍の中、「仮設の映画館」でオンライン上映された。

「観察映画」は観客の思考力に問いかけてくる。パズルやミステリーのように注意力、観察力が要求され、優れた芸術映画のように最終的な「正解」は観客自身に委ねられる豊かさがある。その構造、つまり「面白さを見出すも見いださないも観客次第である」という構造に気がついてから、想田監督の作品に触れる時には最大限に気を引き締めて向かうことにしている。そしてその努力は、地味な絵面からは想像もつかないようなスリリングな展開を心の底から楽しんだ末、いつも報われる。

想田監督をもてなそうと菓子と飲み物を用意する山下医師の、おぼつかなげに揺れるお盆の行方に執着するカメラ。奥さんの病はすなわち家事を切り盛りする者の不在を示しており、雑然とした居間のテーブルに置かれたお盆が、何かの上になってしまい斜めに傾いでいる。奥さんがその不安定なお盆の上に、飲み物として持ってきたアクエリアスのペットボトルを置こうと奮闘する。そのスリリングな瞬間をカメラは遂に映し出す。

「アクエリアスの行方」とは、山下医師の奥さんとその病との闘いを、山下医師と奥さんが来客を前にした緊張感を、お盆すらスムーズにテーブルに置くことが出来ない家のささやかな荒廃を、表しているに違いない。決して知らない人間ではない想田監督の来訪に、夫婦の日常は切り裂かれているのか、それともいつもこんな調子なのだろうか。あまり言葉を発することのない山下医師と、唐突に出会った頃の話を始めたり、想田監督がまんじゅうに手を付けない(撮影中なのだから当然だ)ことをずっと気に揉む奥さんは、観客の心をざわつかせる。奥さんはその後、煎餅にようやく口をつけた想田監督の反応に心を緩め、運転があるからと想田監督が固辞した酒席を、タクシーを使わせてまで共にしようとする山下医師も、やはり他者の来訪に舞い上がっている様を曝け出す。

「この新しい生活が一体どうなるのか」というシンプルな問いに対する複数の回答を、この映画は照射する。患者は不安や困難を医師にぶつけ、ある種の「中毒」である医師も引き裂かれそうになる感情と闘いながら向き合おうとする新しい生活。(こう言ったら失礼だけど)謎の「親友」が奥さんと山下医師の間にある微妙な溝を無遠慮にむき出しにしたりする状況に、深まっていく問い。

そうした問いが、終盤で迎えるあるシーンで一つの回答、ベタではあるが公式サイトにもある通り「純愛」であるとしか言いようのないシーンに帰結する。夫婦ふたりきりの空間に弾き飛ばされるように、後ろを追う想田監督のカメラ。物語の円環が閉じる音がしたのだ。

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