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マーダー・ミー・モンスター

南米アルゼンチンはアンデス山脈を望む村で、首のない遺体が発見された。捜査にあたった主人公クルスの不倫相手フランシスカも同じような手口で殺害され、彼女の夫ダビドが逮捕される。女性を狙ったごくありきたりな猟奇殺人ものとして幕を開ける本作は、仄めかしに次ぐ仄めかしが展開する難解な大仄めかし系アートホラー映画だった。アレハンドロ・ファデル監督作。

言動も不審なダビドは、何かが彼の頭に「マーダー・ミー・モンスター(怪物よ、私を殺せ)」と語りかけてくると訴える。死体発見場所の奇妙な一致やその異様な殺害状況から、クルスはこの殺人事件が何かの意図に基づくもので、それはある種の「怪物」に依るものだと主張する。

ところが、本作のタイトルでもある「マーダー・ミー・モンスター(MMM)」は幾度となく繰り返され、様々な隠喩をストロボライトのように投げかけてくる。「M」は、まず第一に、本作中何度もインサートされる「山(Mountain)」に象徴される荘厳な大自然を想起させる。そして「M」は、「男性(Man)」を意味していることも明らかである。本作のメインビジュアルで使われているタイトルは、真ん中のMが上下反転して「W」、つまり「女性(Woman)」を示唆している。ダビドをピックアップしたトラックでの帰り道、クルスとダビドに挟まれたフランシスカは、2つの「M」に挟み込まれた「W」として象徴的なその太い眉を見せる。黒くたくましい彼女の眉は、大きく弧を描いて、まるで2つの山のように見えるのである。

肥大した性愛の象徴としての「怪物(Monster)」がその姿を見せるのは物語の後半部分。ギーガー的な洗練も歴史のどこかに忘れてきてしまったような粗暴さを隠さないその姿は、生殖器のグロテスクさを誇張したような造形で大変おぞましい。そんな怪物が、孤独なその存在を主張するかのような律儀さで、殺人現場と首の発見現場を頂点に大きな「M」を描いてみせる。女性が一人ずつ無残な骸を晒す度に、異常な性衝動と心的ストレスの集積が、フロイト的な女性不安とリンクするような形で透けて見えてくる。特に物語後半で観客に驚愕と難解さをもたらす肉体の変異は、女性との不遜な関係を持つ男性の「怪物性」の現れとして捉えることも可能かもしれない。

全体の雰囲気は『ツイン・ピークス』的というか、最近で言うと『マンディ 地獄のロード・ウォリアー』のようなサイケデリックな空気もあるが、一方でカルロス・レイガダス『闇のあとの光』のようなマジックリアリズムの雰囲気が強く、とにかく静謐で地味なルックの映画。脚本にはいくつかの混乱が見えるが、多くの大失敗例がある「仄めかし系ホラー」「アートホラー」の中でも、良く出来た作品だったように思える。とは言え、日本語のレビューを見ると大不評の嵐だったので、ホラー目当てで観ると大変な肩透かしを感じるのかもしれないっすね。

Te irás, me iré; así será.
あなたが去り、私も去る

Sin un adiós, sin un porqué, sin rencores, sin reproches, sin dolor, en paz.
さよならも、その訳も。恨みも非難も苦痛もなしに。平穏なまま

No olvidemos que estuvimos hasta ayer enamorados, enamorados, enamorados.
明日になるまで忘れないで、私達が愛し合っていたことを

Sergio Denis「Te IrÁs, Me IrÉ」が幾度となく流れ、クルスのダンスは『髪結いの亭主』を連想させた。

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