ハンガリーの映画監督で、独特の長回しと暗い雰囲気で知られる巨匠。代表作『サタンタンゴ』は7時間を超える長編で、モノクロの映像美と緩慢なリズムが特徴的。『ヴェルクマイスター・ハーモニー』も重要作で、存在論的な問いを視覚的に探求している。青葉市子の新作MVにはベーラの映像美学へのオマージュが露骨に引用されており、アート系ミュージシャンとアート映画の親和性を示す好例となっている。
※ AIによる解説文(β)です。当サイトの内容を参照して、独自の解説文を構築していますが、内容に誤りのある場合があります。ご留意ください
青葉市子の新作『Luminescent Creatures』を愛聴してる。元々「本物!」の圧が強くて(特にファンコミュニティからの)、あまり入り込んでいけない感があったものの、フォークロアと日本的な歌唱へのアプローチの塩梅が良く、悪いはずはない。自分の好み的には、本作がベスト。このMVのビジュアル、というか世界観はあまり好きではないが、タル・ベーラオマージュ(『サタンタンゴ』と『ヴェルクマイスター・ハーモニー』の露骨な引用があります)は嬉しい。
ダムネーション 天罰
永遠に石炭を運び続ける滑車は重々しいドローンを鳴らし、街は朽ちる。気がつくとカメラは窓ガラスを隔てた室内にあって、不快な低音も遠ざかっていくが、その距離、隔てた空間の確かな存在は消えることがない。プラトンの言うように、音楽は街に忍び込み、精神の変容を促す。この脳髄を引きずるようなノイズを音楽と呼ぶのであれば。
『サタンタンゴ』を以て結実するタル・ベーラのクラスナホルカイ・ラースローとの共同作業は、1988年制作の本作『ダムネーション 天罰』から始まる。本作と『サタンタンゴ』を繋ぐテーマは「監視と密告」、『サタンタンゴ』は次作『ヴェルクマイスター・ハーモニー』(2000年)に「暴力と煽動」を継承し、結果として大作にして大傑作『サタンタンゴ』を中心とした三部作を成しているという認識がある。三作に通底して描かれているのは、街の、ひいては人心の荒廃である。
今日も街に雨が降り、ぬかるみが人々の足を陰鬱に汚す。主人公カーレルと「タイタニックバー」の女性歌手の汚れた不倫関係にも、終わりが近づいている。そんな時に舞い込んでくる「運び屋」の仕事。カーレルは、借金まみれの愛人の夫にその仕事を世話し、その留守中に彼女の元に赴こうとする。その時、「タイタニックバー」の女性店員が傘を差して現れ、しばし沈黙の後にささやく。「旧約聖書を知ってる?」と。
人為的な介入は遠回りし、神の一手は直截的。「街」が大いに歌い踊るその狂乱の只中で追い詰められていくカーレルの背中を押した件の女性店員は、まるで座礁、沈没したような水浸しの「タイタニックバー」の荒廃に一人残される。彼女が、預言者のように主人公を導いたのは、まるで犬畜生に成り下がるしかないような地獄であった。
雑談に耽る二人の女性たちを映している平面的な世界と、柱を境にして奥へ歩みを止めない主人公のパースペクティブは決定的に異なってしまっている。『サタンタンゴ』とほぼ同じ布陣での撮影、美術、音楽は、腐敗する空気を切り取り、世界を定着させる。この三部作が提示しているのは、その画と同様、タル・ベーラが見たこともない角度から切り取ってみせた「物語の切断面」である。