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ダムネーション 天罰

永遠に石炭を運び続ける滑車は重々しいドローンを鳴らし、街は朽ちる。気がつくとカメラは窓ガラスを隔てた室内にあって、不快な低音も遠ざかっていくが、その距離、隔てた空間の確かな存在は消えることがない。プラトンの言うように、音楽は街に忍び込み、精神の変容を促す。この脳髄を引きずるようなノイズを音楽と呼ぶのであれば。

『サタンタンゴ』を以て結実するタル・ベーラのクラスナホルカイ・ラースローとの共同作業は、1988年制作の本作『ダムネーション 天罰』から始まる。本作と『サタンタンゴ』を繋ぐテーマは「監視と密告」、『サタンタンゴ』は次作『ヴェルクマイスター・ハーモニー』(2000年)に「暴力と煽動」を継承し、結果として大作にして大傑作『サタンタンゴ』を中心とした三部作を成しているという認識がある。三作に通底して描かれているのは、街の、ひいては人心の荒廃である。

今日も街に雨が降り、ぬかるみが人々の足を陰鬱に汚す。主人公カーレルと「タイタニックバー」の女性歌手の汚れた不倫関係にも、終わりが近づいている。そんな時に舞い込んでくる「運び屋」の仕事。カーレルは、借金まみれの愛人の夫にその仕事を世話し、その留守中に彼女の元に赴こうとする。その時、「タイタニックバー」の女性店員が傘を差して現れ、しばし沈黙の後にささやく。「旧約聖書を知ってる?」と。

人為的な介入は遠回りし、神の一手は直截的。「街」が大いに歌い踊るその狂乱の只中で追い詰められていくカーレルの背中を押した件の女性店員は、まるで座礁、沈没したような水浸しの「タイタニックバー」の荒廃に一人残される。彼女が、預言者のように主人公を導いたのは、まるで犬畜生に成り下がるしかないような地獄であった。

雑談に耽る二人の女性たちを映している平面的な世界と、柱を境にして奥へ歩みを止めない主人公のパースペクティブは決定的に異なってしまっている。『サタンタンゴ』とほぼ同じ布陣での撮影、美術、音楽は、腐敗する空気を切り取り、世界を定着させる。この三部作が提示しているのは、その画と同様、タル・ベーラが見たこともない角度から切り取ってみせた「物語の切断面」である。

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