実験的な音楽を制作するアーティスト。Substackでの発信を通じて、インディペンデントな表現の場の重要性を説いている。メディアプラットフォームが経営方針や社会情勢によって変化する中で、主観性を保ち続けることの価値を強調。彼女の思想は、現代のデジタルコミュニケーション環境における個人の表現の自律性と、オルタナティブな場の必要性を示唆している。
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先週の金曜日から、普段に比べて、人とたくさん会って話す機会を得た。パンポテ解散に伴ってお笑いの話から、陰謀論の話。げんき映画の会で、映画の話。前の記事にあった会もそう。普段から考えていることが、頭の中で拡張されたような感覚がある。
その流れでSubstackを触って、あまりに近未来的なPublication(出版)のあり方に衝撃を受けた。そのまま、しばらくSubstack内で記事を読んでいて思ったのが、結局どんなサービスが出てきても、Twitterがイーロン・マスクの手によってボロボロにされたように、経営方針や社会情勢に応じて形を変える以上、自分(たち)の場を仮託することはできないということ。要は、インディペンデントであり、オルタナティブであり続けること、いつまでも主観の場であり続けること、というのがとても大事。Claire RousayがSubstack内でそんなことを書いていて、まさに我が意を得たりの感触があった。