1960年代のアメリカ西海岸から生まれた、サーフィン・サウンドの代名詞的存在。ブライアン・ウィルソンの天才的な音楽性によって、単なるサーフ・ロックバンドから音楽史に残る革新的なグループへと昇華した。 初期の「サーフィンUSA」などのキャッチーな楽曲で一世を風靡した後、1966年の『ペットサウンズ』で音楽的な頂点を迎える。この作品は、ポップスの概念を根底から覆し、後のビートルズやあらゆるミュージシャンに多大な影響を与えた。ブライアンの繊細で実験的なプロダクションワークは、スタジオを楽器として使う現代的な音楽制作の先駆けとなった。 多くのリスナーにとって、彼らの音楽は一度離れても再び戻ってくる、人生に寄り添う存在として機能している。
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10日も書かないでいたら、ブライアン・ウィル ソンが亡くなってしまった。
子どもの頃から、『サーフィンUSA』などの代表作を聴かされてどハマりしたのに、自然な流れとして飽きがきて、くだらないものだとみなす反抗期を経て、やっぱり好きなんだよなーと学生時代を過ごした後に『ペットサウンズ』を見出す流れ。みなさんにもあるでしょう、こういうの。出会った時から天啓のように入れ込んでしまうものではなくて、ゆっくりと染み込んでいて、いつの間にか離れ難いものとなっているもの。ブライアン・ウィルソンとビーチボーイズは、僕にとってそういうものでした。
特に、drawing4-5の録音活動が一番活発だった時期、自分やメンバーの家に集まり、色んな先駆を想起しながら楽器をこすって試行錯誤する時間、その理想の一つにブライアンも当然いて、自分なりの『ペットサウンズ』をアウラのように追い求めていた。それは今も相変わらずで、これからもずっと自分なりの『ペットサウンズ』を、自分なりの『Madvillainy』や、自分なりの『Cobra and Phases Group〜』、自分なりの『No, Sir』、自分なりの『Sung Tongs』、自分なりの『Live in Chicago, 1999』を求め続けるのと同じように、追い求めるのだろうし、その限りにおいて、これはカマトトぶってる訳でもなんでもなく心の底から思うのだが、ブライアンは俺の中で生き続ける。生に永続的な意味を見出すのであれば、改めて、完全なる他人の「自分なり」となるような何かを生み出す行為の中に見出すであろう。