ザ・ビーチ・ボーイズの中心人物として、ポップミュージックの歴史を塗り替えた天才プロデューサー兼作曲家。初期の「サーフィンUSA」などのサーフロックから、後に『ペットサウンズ』という革命的な作品を生み出し、音楽制作の概念を根本から変えた。 彼の音楽は、多くのミュージシャンにとって永続的な理想として機能し続ける。単なる楽曲ではなく、創作活動における一つの到達点、あるいは追い求め続けるべき「アウラ」のような存在として位置づけられる。その影響力は世代を超えて受け継がれ、現在でも多くのアーティストが「自分なりの『ペットサウンズ』」を模索し続けている。
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10日も書かないでいたら、ブライアン・ウィルソンが亡くなってしまった。
子どもの頃から、『サーフィンUSA』などの代表作を聴かされてどハマりしたのに、自然な流れとして飽きがきて、くだらないものだとみなす反抗期を経て、やっぱり好きなんだよなーと学生時代を過ごした後に『ペットサウンズ』を見出す流れ。みなさんにもあるでしょう、こういうの。出会った時から天啓のように入れ込んでしまうものではなくて、ゆっくりと染み込んでいて、いつの間にか離れ難いものとなっているもの。ブライアン・ウィルソンとビーチボーイズは、僕にとってそういうものでした。
特に、drawing4-5の録音活動が一番活発だった時期、自分やメンバーの家に集まり、色んな先駆を想起しながら楽器をこすって試行錯誤する時間、その理想の一つにブライアンも当然いて、自分なりの『ペットサウンズ』をアウラのように追い求めていた。それは今も相変わらずで、これからもずっと自分なりの『ペットサウンズ』を、自分なりの『Madvillainy』や、自分なりの『Cobra and Phases Group〜』、自分なりの『No, Sir』、自分なりの『Sung Tongs』、自分なりの『Live in Chicago, 1999』を求め続けるのと同じように、追い求めるのだろうし、その限りにおいて、これはカマトトぶってる訳でもなんでもなく心の底から思うのだが、ブライアンは俺の中で生き続ける。生に永続的な意味を見出すのであれば、改めて、完全なる他人の「自分なり」となるような何かを生み出す行為の中に見出すであろう。