フランス映画界の巨匠として知られる監督。『禁じられた遊び』『太陽がいっぱい』などの代表作で国際的な評価を確立した一方で、キャリア後期の作品については賛否が分かれることも多い。 『パリは霧にぬれて』のような70年代作品では、冒頭の映像美や色彩感覚の巧みさは健在だが、物語構成の粗さが目立つケースもある。特に謎めいた導入部から安っぽいサスペンスへの転落は、クレマン作品の典型的なパターンとも言える。 フェイ・ダナウェイのような名優を起用しながらも、脚本の弱さが全体を台無しにしてしまう傾向があり、映像作家としての才能と物語作家としての限界が露呈する作品群でもある。それでも冒頭数分だけでも観る価値があるのが、クレマン映画の不思議な魅力だろう。
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ルネ・クレマン全然合わないのかも。
久しぶりに妻が帰ってきたので、嬉々として不在中に一番評判の良かったカジキマグロのソテーを作る。大変美味く出来た。
今のチームになって、初めてペアプロにトライしてみる。自分でホストしたことがなかったので不安だったんだが、すごく楽しく終われてよかった。みんなで和気藹々とコードを書けばよいところを、何故かゾーンに入ってしまい、無言orブツブツ独り言言いながら、超高速で実装してしまいちょい反省。
金曜日、一週間の疲れを引きずったむすこと、近所のつけ麺屋で食事を済ませた後、ルネ・クレマン『パリは霧にぬれて』を観る。タイトル通り、濃い霧に包まれたパリで、 貨物船に揺られるフェイ・ダナウェイを捉えた冒頭のショットの完璧さに、思わず唸り、ここで映画が終わっても良いとすら思う。自分の子どもたちが誘拐されてしまう未来を暗示する不吉なシーンでは、灰色の街、灰色の階段を黄色のフラフープが落ちていく。わかりやすく黄色がアクセントとして効いていて、めまいがするほど良い。
しかしながら、この謎めいた誘拐事件を捉えた物語は、後半、わかりやすく安っぽさを露呈して大失速していく。文字通り「組織(Organization)」と呼ばれる存在が明らかになっていく中、この「組織」の計画があまりに杜撰すぎるのである。ただただ、段取りが悪かったり、頭が悪かったりで、ぐずぐずと自爆していく「組織」を見て、なんか苦笑するしかなかった。全盛期のフェイ・ダナウェイがハッとするぐらい美しいのだが、皮肉なことに「組織」の間抜けさを強調するだけになってしまった。とにかく、冒頭だけ、観てみてください。予告でも雰囲気は味わえます。