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マイク・ミルズ『カモン カモン』/僕たちの関係に録音がもたらす「永遠性」

母を亡くして以来関係がギクシャクしていた妹に連絡を取ると、音楽家である彼女の夫が過度のプレッシャーに神経をやられていて、彼の世話をするために息子のジェシーを一時的に誰かに預けなければいけないと言う。ラジオ番組のスタッフとして働く主人公ジョニー(ホアキン・フェニックス)は、ちょっと風変わりな9歳児であるジェシーを快く受け入れる。突飛な想像、奇妙な設定、無遠慮な質問を際限なくぶつけてくるジェシーに、ジョニーは愛おしさを感じつつ、翻弄され疲弊していく。

この「コミュニケーション」問題は、ジェシーが語る「森林に構築された菌類のネットワーク」の如く、多様に枝を伸ばし拡散する。目下、ジョニーの仕事は、数人の仲間とともにアメリカ各地の子どもにインタビューをして、ラジオ番組を制作することである。デトロイト、ニューヨーク、ニューオリンズ…。録音機材を介して、むき出しになったコミュニケーションを扱うのが、彼の生業。なのに、そのネットワークは至るところで断線し、機能不全をきたしている。

A24製作、『21センチュリーウーマン』マイク・ミルズ監督最新作は、またしても「家族」についての映画。前編白黒での撮影で、既に古典の雰囲気を獲得していた。引用がすべて良かったが、中でもJacqueline Rose『Mothers: An Essay on Love and Cruelty』の引用に問題意識が垣間見える。

私達の個人的だったり政治的な失敗はすべて母親に押し付けられ、何故か当然、修復するのは母親の仕事として扱われている。
Jacqueline Rose『Mothers: An Essay on Love and Cruelty』

「大丈夫じゃない、って叫んでもいい」。父は病気で、母もその世話に手一杯。喪失を抱えているジェシーの叫びは、伯父であるジョニーには届かない。自分のことを理解してくれない母を看取る妹の救いを求める叫びは、兄であるジョニーには届かない。単なる苛ついた子ども、苛ついた大人にしか見えないが、そこには断線したネットワークがある。理解と無理解の間で、録音機材は回り続ける

この映画は「コミュニケーションについての映画」であり、「音についての映画」、もっと言えば「録音についての映画」と限定することすら可能である。ジョニーが朝目覚めると、ジェシーは大音量でモーツァルトを聴いている。「土曜日は、大音量で」と鳴らすその音楽は、二人の会話を打ち消してしまう。ジョニーに仕事道具である録音機材を借りると、ジェシーは街の雑踏、波音、祭の喧騒にマイクを向ける。「なんでもない音が、録音することによって永遠になる」。歯ブラシは録音された歌を歌い、携帯のスピーカーが遥か遠くにいて『オズの魔法使い』を読んでくれる母の声を伝える。

様々な「音」の在り方が、コミュニケーションの間に介入してくる(「Texting」「Screen Time」という言葉は、その逆位相として存在している)。声、音、言葉。「録音行為」がそれを永遠のものにしたのなら、その「永遠性」があなたとわたしの関係をもっと豊かにしてくれるのかもしれない。

地球に訪れるために、あなたは人間の子どもとして生まれなければなりません。最初に身体の使い方、腕や脚の動かし方や、直立する方法を学ばなければならないでしょう。
Claire A. Nivola『Star Child』

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