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「淫らな目線」についての物語/ジャック・オディアール『パリ13区』

「目線」、それも(劇中で言うように)「淫らな目線」についての物語。四人の男女が、「恋愛」とか「セックスそのもの」を中心に車座で囲み、それらとどのように距離を取るべきなのか逡巡し続ける。あるものは極端に積極的で、あるものは色々な事情から消極的であるが、これは俺の周りにも思い当たる人はいっぱいいるわけで、あなたの周りにもきっとそう。その中間で右往左往を続ける男性カミーユのダメさ、も含めて、これも「当たり前」で、即ち「人間的」なのである。

「性的な関係」と言うが、実際はコミュニケーションの問題。本作にも副読本のように、例えば吃音の妹がスタンダップコメディを演じる話とか、「コミュニケーション」についての小話が挿入されている。そういったダイバーシティを内包すると、結果「他人との距離を掴むために我々がすべきこと…」という中庸めいた当たり前の教条に議論が落ち着いたりする。しかし、この映画は、その「当たり前」から少しだけ踏み出してみせる。その刹那、冒険の予感に心ときめいたりするわけ。

ルームメイトと肉体関係を持つのだが、その関係があっという間に崩れ、ではその跡地には何が残るのか、という愁嘆場だとか、大きな希望を胸に33歳にして大学に再入学するも、ポルノ女優と勘違いされたことを端に発した嫌がらせから、大学を諦めてしまう女性が次に採る行動、だとか。その少しの踏み込みが物語になる、そんな密度の高さには飽きが来ない。

原作はエイドリアン・トミネのグラフィックノベル。本来はそれぞれが独立した短編なのだが。オムニバス的なツギハギ感はカラオケ、電話、カメラ、スマホ…といったディティールが解消してくれる。巧みにつなぎ合わされた個々の小さなエピソードが、最終的には本筋に合流していく脚本の手腕には敬服してしまう。監督のジャック・オディアールに加えて、『燃ゆる女の肖像』セリーヌ・シアマと、『アヴァ』レア・ミシウスによる仕事。

終端で、ことは「愛」の問題へと発展していく。その過程において、やはり「正解を求めること」の虚しさというか、そもそも感情なんて全て割り切れるものではない。無理矢理叫ばされた電話越しの愛や、逆光の中の口づけは、整理された感情のルートの終着点だったかと問われれば、当然そんなことはない。そうした、日常にある、ちょっとした飛躍。それがなかったら、人生なんて全て計算可能なのだ。ゆめゆめ、占い師には騙されることなかれ。

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