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GW中に考えたこと

定理A

「マリオって、深いテーマとか無くて、純粋に楽しいだけなのでいいですよね!」っていう発言は、一定の真理を含んでいる。しかし、この世には、どんなに物語の中でテーマを語ったとて、全く気にしない/気づかない/無視する観客が一定数いるのと同様、どんな物語に対してもテーマを見出し、深読みし、挙句の果てには捏造する輩もいる。前者は、後者に対する「いちいちうるせえな」という嫌悪感を隠さないし、後者は、前者のことを決定的に馬鹿にしていて、両者が歩み寄る気配はない。マリオに限らず、どんな物語であっても、すかっと楽しみたい派は「すかっと楽しめたか否か」、深読み鬱陶しい派は「どれだけ深読みできたか」で映画の内容を判断するので、この評価軸は永遠に交わらず、いずれ世界は崩壊する。

定理B

日本映画における俳優の質が、劇的に向上しているのを感じる。古くは是枝裕和監督『誰も知らない』とか、今泉監督作品や、最近だと無名とまでは言わないがまだまだこれからな若手監督の作品まで、テレビドラマとかではまだまだ健在な素っ頓狂な演技は影を潜め、まるで僕らの隣にいてもおかしくないような現実味のあるキャラクターを演じられる人が増えてる印象。これってもしかして、映画制作現場の環境改善の結果が現れているのかもな、とふと思った。よくよく考えたら、どんなに優れた演出家であっても、一人の人間のイマジネーションなどたかが知れているので、かつて美徳とされた一人の圧倒的な権力を持った演出家/監督による高圧的な演出って、役者の持っているポテンシャルを極端に制限するものなのではないかなと、思い至った。映画の現場をほとんど知らない素人の意見ですが、どうなんでしょうね。

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