Post

女性上位時代

サントラのジャケの方が馴染み深い

初期パゾリーニを支えたフラヴィオ・モゲリーニによる美術や、ガイア・ロマニーニの見事な衣装、そして巨匠アルマンド・トロヴァヨーリによる洒落た音楽。チームの素晴らしい仕事はあれど、意味不明にふらつくカメラ(笑った)、素っ頓狂な演技、とお世辞にも完璧な映画とは言い切れない『女性上位時代』(個人的に…ね)が、それでも心に残るチャームを勝ち得たのは何故か。確かにカトリーヌ・スパークの四肢の魅力というのもこの問題とは分かち難いものがあるが、それ以上に、脳天気な「お色気」コメディの体裁を採っておきながら、ミミという主人公の壊れやすい心の内を、それとは詳らかにせぬまま描ききった脚本にある。

急死した夫の葬儀で、退屈を隠しながらも、式の最中に靴を脱ぎ捨てるミミ。「全然悲しくない」と宣って、心のシェルターに塗りたくる厚めのコンクリ。しかし、遺品を整理する中で亡き夫の不貞が発覚し、秘密の逢瀬の現場として使われた鏡張りの部屋で傷ついたのも束の間、「夫だけやってたのズルい!」と性的な冒険に転じて逞しさを見せつけるミミ。しかし、そこにはいくつもの地雷が埋め込まれている。ネックレスにされたスカラベのように休眠中の彼女の心は、男たちの暴力性、不誠実を眼前に、敏感に防御を固めてしまう。ジャン=ルイ・トランティニャン演じる医師が、ミミの亡夫の秘密の部屋で、自身を客観視させ、あらゆる幸福から遠ざけんとする「鏡」を暴力的に破壊するまで、彼女の自己防衛機能は暴走し続ける。

有名な馬乗りシーン。「La Matriarca(女性のリーダーという意味らしい)」という原題を『女性上位時代』とした配給会社の慧眼。男性によってもたらされた「女性としての」幸せ(それはライバル関係にあった弁護士の提供する「幸せ」、男性の仕事に付き添って世界を回るという「女の幸せ」と対になっているべきものであるのだが)が、「女性上位」であることを内包している。トランティニャンがいみじくも口にした「革命」は、こうして一見軽やかに成される。そしてこの革命こそが、時代の要請するものであるということを宣言した邦題なのである。

もっと読む