19世紀アメリカを舞台にした、女性の生き方と自由を描いた小説。4人の姉妹の成長と葛藤を描き、当時の社会規範に挑戦する物語。グレタ・ガーウィグ監督の映画版では、シアーシャ・ローナンらの演技が高く評価され、フェミニズムの視点から原作の魅力を現代に再解釈している。
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ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語
のっけから横運動である。俺たちの「横運動」に対する爛れた執着たるや!グレタ・ガーウィグもノア・バームバックも、レオス・カラックスに、トリュフォーに取り憑かれてる。『フランシス・ハ』でグレタ・ガーウィグ自身が演じたように、NYの街を右に走り抜けるシアーシ ャ・ローナンこと次女ジョー。初見では、完全にジョーがところどころ跳躍しているように見えてた。躍動感。撮影監督はヨリック・ル・ソー。近年だとアサイヤス『パーソナル・ショッパー』やクレール・ドニ『ハイライフ』を手掛けている。被写界深度浅めの映像で、ダンスやスケートに興じ、次第に熱を帯びていく俳優たちの顔を前景として浮かび上がらせる。大変美しい、印象に残るシーンの数々。
グレタ・ガーウィグによる二本目の監督作は、ルイーザ・メイ・オルコット『若草物語(Little Women)』というド定番が原作。初監督作『レディ・バード』と比べると、ルックや演出の重厚さは増し(原作や時代設定のせいもあるのかも)、その代わり若干目立った脚本の粗は、しかしながら重大な欠陥とは思えなかった(ジョーの「癇癪」と、フローレンスとの仲違いは、もう少しスムーズに結びつけて欲しかった、とかあるけど)。何よりこの作品の美点は、「女性にとって、結婚がすなわち人生の終着点である。もしくは死」という価値観に対して、最上級にクレバーな回答を突きつけるところにあると思う。後で原作調べてみたんだけど、改めて今作の処理がクレバー過ぎて白目剥いた。「理想はある。でも、やっぱり寂しい」という気持ちに、どう折り合いをつけるのか。奴隷解放主義者にして、フェミニストでもあったオルコットの自由への渇望が生々しくストーリーに接続されることで、あえて「今」、何度目かの実写映画化をする意義を感じることが出来た。
シアーシャ・ローナン、ルイ・ガレル、まさかのボブ・オデンカーク(ソウル!)。脇からメインま で(俺の。そしてみんなも、だろ?)好きな俳優が勢揃い。ローラ・ダーン含めて、大雑把に言うと「アイドル映画」としか思えない体裁だが、各々の演技にそうはさせない気概が見える(特にそれを隠そうともしないティモシー・シャラメのオーバーアクトを除く!あれは「アイドル」っぽい!)。エマ・ワトソンの役に徹する姿勢(リスペクト!)。そして何と言っても『ミッドサマー』で俺たちの新しいホラーミューズとなったフローレンス・ピュー。彼女に尽きる。野太い声にがさつな動き。いつまでもチルディッシュで、激情型で、しかし憎めないコケティッシュさがあるのだが、伯母と共にパリに渡ると、色んなところにほころびを覗かせながら社交界の花を演じ始める。エイミーの変化を、説明するのではなく体現してみせる、堂々とした演技だった。
「つうか、もしかして、『若草物語』ってめちゃ名作なのでは……?」っていうのが最終的な感想でした。映画化の鑑だね!