『愚か者の身分』/巻き込んでしまった人生について
「期限が切れそうなU-Nextのポイント使わなきゃ!」と、焦って買ってしまったTOHOシネマズのチケット。見事に消費し損ねて、ノーマークだった本作を観てしまった。こういう事故ってある。良い事故でした。

半グレっぽいルックのタクヤ(北村匠海)と、その舎弟?と思われるマモル(林裕太)が、川を流れていくギャルソンのシャツを見つめている。この二人が否応なしに巻き込まれる、戸籍売買に、臓器売買といった裏稼業の世界。そんな底辺の生活を、時系列を組み替えながら進行するこの語り口が特徴的な本作。
幼い顔して、詐欺の片棒担いではしゃいでいるマモルだが、慕っているタクヤの作ったアジの煮付けをぎこちない箸捌きで頬張る姿を見た後だったら、歌舞伎町で盛り上がっている姿に涙腺が緩んでしまう。手法の勝利である。幼いころから暴力の中で過ごし、ボツボツと根性焼きの徴を腕に残し、タクヤが頭を撫でようとしただけで怯えていたマモルが、肩を組んで笑っている。
いずれ彼らにも牙を剥くであろう残酷な世界に、マモルを引きずりこんでしまった責任がタクヤにはある。しかし、そのタクヤをこの世界に引きずり込んだ人間も、いる。世代を跨いで「巻き込んでしまった」人生に対して、どのように責任を取っていくか、というのがこの物語のメインテーマである。負の連鎖が若い世代を蝕んでいく構図はよく見るが、正しい行いが年長世代に影響していくという物語はあまり記憶になかった。
彼らを追い込む佐藤を演じる嶺豪一は、『ニュータウンの青春』の無気力なあいつが?という驚きの怪演。笑顔がこわい。いやだ。その上にいるジョージ(田邊和也)の怖さ、冗談通じなさそうな雰囲気そのものも嫌だが、「この世界、これが天井ではない 」という絶望的な確信があって、その変な解像度もいやだ。ただし、このジョージが、現役で格闘技やってるっぽい綾野剛に勝てちゃう時点で、その無根拠な強さがちょっと興醒めに結びついてしまうという難点はあった。ヴィランそのものはそこまで強くなくて、とにかく非道で権力あるだけ設定の方が好きだし、この物語にも合ってる気がする。
ともあれ、台詞や小道具、徹底的に考えて構築していったのがよく分かる丁寧な出来の映画。特に、語尾の変化や、「言わなかったこと」にセンスと工夫を感じさせる。個人的には何より、これをTOHOシネマズ新宿で観れたのが嬉しかった。この映画で描かれた風景は、ゴジラのビルのあのエスカレーターを降りた地点から広がっているから。聖地だよ、聖地。
金曜日はむすこも俺も暴力的に疲れていたので、ちょっと休もう、と土曜日。昼過ぎまでダラダラと過ごし、『シビル・ウォー アメリカ最後の日』16:30回を観に、TOHOシネマズ新宿へ行く。予告編を観て興味を持ったむすこと、楽しみにしていたアレックス・ガーランドの新作。

劇場の重低音が心底心臓に悪い。あの銃声できちんとビビるように設計された音響だったと思う。遠くに光る銃やミサイルの光は暗闇に光る花火のように美しいのに、その渦中にいると恐怖の対象となる。身もすくむ思い。
内戦に揺れるアメリカで、14ヶ月もの間、表に出ていない大統領の単独インタビューを勝ち取るべく準備してい るリー(キルスティン・ダンスト)とジョエル(ヴァグネル・モウラ)の車に、彼女の師匠格であるサミー(スティーヴン・ヘンダーソン)と、リーに憧れる若い女性カメラマン・ジェシー(ケイリー・スピーニー)が乗り込んでくる。彼女たちは、前線であるシャーロッツビルを経由して、ワシントンD.C.を目指す旅の途中で、戦争のもたらす狂気に満ちた出来事に遭遇することになる。
主人公のリーは数々の栄光を手にしてきたベテランの戦場記者だが、報道が人を救うことが出来なかったという実感から来るこの世に対する諦念が、彼女の心を暗く沈んだものとしている。内戦真っ只中の本拠地に乗り込むという、ほとんど自暴自棄とも言えるような無謀な計画を実行してしまうのも、その厭世観が故。クルーそれぞれの感覚はバラバラで、ジョエルは危険に興奮するタイプ。ジェシーは経験不足が故の無謀さで、旅を通じて初めて真の恐怖を味わうこととなる。
ジェシー・プレモンス(またこいつかよ)の登場するシーンに代表される個々のエピソードは肉付けも素晴らしく、戦争の恐ろしさを十分に感じさせるもので満足。「悲惨な現場を報道の名の下に撮影するべきなのか」という「報道の倫理」問題も、ジェシーの成長物語を通して上手く描けていたと思う。拷問された犠牲者たちとその加害者を、同じ写真に収めようとするリー。そういった彼女の姿勢をジェシーが体得する終盤で、視点が入れ替わっていくのも見事な構図だと思った。
全体が単なるエピソードの積み重ねである点、特に幕の下ろし方を「潔い」と捉える人もいるかも しれないが、俺は物足りなかった。こうした内戦や戦争で政権が変わろうが何しようが、結局何の発展性もないまま、苦しむのは市政の人々であり、為政者や富裕層は変わらず裏側で次の鉱脈を掘り始めている。その邪悪な構造を、もっと大胆に描き切った映画が沢山ある(例えば、ミシェル・フランコ『ニューオーダー』とか)だけに、大統領選を控え、ドナルド・トランプという独善的な支配者の為政を経験したタイムリーな時期のアメリカを舞台にした時に、もっと鮮明に描けるものはあるだろう、と。その辺が「物足りなさ」の正体だったと思う。