1960年代後半から70年代にかけて、ハリウッドで興った映画運動。従来の商業映画の型破りな手法で、社会批評的な作品を多く生み出した。監督たちは、既存の映画文法から自由に逸脱し、アメリカ社会の矛盾や人間の内面を鋭く描き出した。『泳ぐひと』のように、現実の不条理さや孤独を象徴的に表現する作品が多く生まれた時代。
※ AIによる解説文(β)です。当サイトの内容を参照して、独自の解説文を構築していますが、内容に誤りのある場合があります。ご留意ください
『泳ぐひと』/邪気のない笑顔が凍りつくまで
唐突に「そうだ、俺は色んな家のプールを泳いで帰宅するよ」と、変な思いつきを告げる主人公ネッド・メリル(バート・ランカスター)の陽気な笑顔。プールとプールを繋いだ曲線のルートを、妻の名から取った「ルシンダ川」と川に見立て下っていく。とにかく一貫して突拍子なく、何が起こるのかわからない。基本的には誰からも愛されているネッドは、どこに行っても歓待されるのだが、昨日観たポランスキー『水の中のナイフ』同様、会話の歯車が少しずつズレている。ズレているので、「なんで病院に来なかった!」とか「二度と敷居をまたぐべからず!」などと、唐突に怒られたりする。突然怒られるのは怖い。
気持ちの不安定さと、距離と、時間とが作用して、ネッドの笑顔に陰りが見えだすと、あれほどカラッと晴天だった空にも雲が目立ち、彼は身体を丸めてつぶやく。「寒い…」と。あれほど温かに迎えてくれていた人たちはどこかに消え、社会に放り出されるのと同時に、彼がどのように生きてきたのかが詳らかにされると、その帰結として、今の自分が他人から、友人から、家族からどのように見られているのかが明らかになってくる。
ついに降り出した雨の中、「ルシンダ川」を下りきった彼が直面する「現実」。重く苦々しい真実に、湿り荒れ果てた地面に、心底ゾッとしてしまった。アメリカン・ニューシネマの奇妙な果実。傑作でした。