映画『フォールガイ』に出演した俳優で、スタントマンを演じるライアン・ゴズリングの映画内での捜索対象となる存在。この作品では、主役ではありながらも、実質的には脇役的な立ち位置で、映画制作の裏側や映画づくりの物語性を象徴する役柄として描かれている。映画産業における俳優の存在感や、スタント業界の重要性を示唆する興味深いキャラクター。
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デヴィッド・リーチ『フォールガイ』/創作の只中で、よそ見するカメラ
いつものように意気揚々と映画館の最前列に腰掛けると、隣に婆さんがやってきて、念入りに除菌ティッシ ュで座席を消毒している。あ、この執拗さ、もしかしたらこれはいわゆる「ヤバ客」なのでは…?!と思って身構えていたら、案の定映画始まった途端、序盤から大爆笑の婆。俺、こういう客、だーいすき。すっごい一体感で、俺も遠慮なく声上げて笑った。
ライアン・ゴズリング主演のアクション映画で言うと、『グレイマン』が個人的にはいまひとつの出来だったので、そこだけちょっと心配だったんだが杞憂だった。というか、モード的には『ナイスガイズ!』寄り、俺の大好きな「コメディアンのゴズ先生」。今年は『デッドプール&ウルヴァリン』も最高だったけど、それに負けずとも劣らない笑いと情報の密度。ギッチギチで、見落としている箇所が大量にあるはず。
ところで、この映画の素晴らしいのは、スタントマンを演じるゴズ先生が、あくまでエミリー・ブラント演じる映画監督・ジュディの「ミューズ」であり、真の主役ではないところ。創作におけるインスピレーションの源としての白人男性主人公。「撮影中に姿を消した主演スターのライダー(アーロン・テイラー=ジョンソン)の捜索」というのがメインプロットだが、この映画の中心にあるのは、ジュディが初監督作を作るために奮闘する物語であり、そこからかなり明確にフォーカスを脇役中の脇役であるスタントマンに向けている体というのがポイントだと思う。カメラが、よそ見をしている。
真相が明らかになり、誰が「悪者」か、誰が反撃を喰らうべきなのか、ハッキリしてくる後半。映画制作の現場でスタントマンをはじめ とする映画製作者による逆襲が始まると、悪人が殴られて断罪され、恋人たちが再び結ばれ、同時に、映画が作り上げられていく。大事なことは何一つ取りこぼさない。序盤から丁寧に紡いできた物語のテンションがここに来て爆発し、実際に火薬も弾けて大爆発を巻き起こす。「ハッピーエンド」の意味や意義を、もう一度原点に戻したかのような、素晴らしく直球のストーリーテリングで、後半は俺、ずっと笑顔。デヴィッド・リーチって、俺が思ってたよりもずっと重要な監督なのかもしれない。
隣の婆がエンドロールになっても手を叩いて大笑いし、次々に流れる80年代のヒットチューンに足を踏み鳴らして踊る姿を見ていたら、去年亡くなった母親を思い出した。多分、母ちゃんこの映画大好き。俺に映画を観る喜び、人生に映画がある喜びを教えてくれた母親。叶うならば観せてあげたかったなーと、ちょっとしんみりした。