エリザベス・デビッキは、映画や文化における特異な存在感を放つ人物。この記事では、彼女が斬新な映画世界観の中で、トマト缶詰と共に象徴的に描かれている。カンフー、ソ連製ディスコ、ブラックサバスなどが織りなす、型破りで狂気の世界観の中で、彼女は一種の文化的アイコンとして機能している。
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ライナル・サルネ『エストニアの聖なるカンフーマスター』/世界中から礫を受けても
そもそも、ここに「女」の影はあったのか。革ジャン三人組のカンフーマスター。担いだカセットデッキで再生するブラックサバスをバックに、ソ連国境で大暴れする長髪グラサンの彼らからヌンチャクを授かった主人公。その日からカンフー道の明け暮れ。異様にノリの良いソ連製ディスコミュージックをバックに大暴れするも、返り討ちにあってボコボコに。それから色々あって、カンフーやっててかっこいい修道院にお世話になることに。
マジで、登場人物たちの行動原理が一から十まで理解できず、「今は、何をどうするために何をやってるんだっけ?」と終始迷子。魚屋にタコ買いに行ったら、コンクリ詰めされてるような気分。画がバッキバキに決まってる分、そこに何かあるはずだと信じて開いた扉の向こうには…何もない。しかし、虚無ではない。とにかく芳醇なから騒ぎが120分近くフル尺で繰り広げられるのでたまったもんじゃない。大好きだ。全ての映画、このテイストで作り直してくれ、とおかしな妄想に囚われてしまった。『テネット』とか、このノリで作ってたらもっと面白かったはずよ。エリザベス・デビッキを缶詰のトマトぶち撒けた上に座らせてさあ…。
世界観の鍵を握るサバスの使われ方は極めて記号的で、実際の劇伴はもっとマヌケな電子音楽の世界。超絶かっこいい(予告編もこっちのノリの方が良かったのに)。クレジット見 たらgoatの日野浩志郎さんとDMBQの増子真二さんが担当とのことで、どういうこと??好事家には『痴漢ドワーフ』とか思い出していただければ。特にエンドロールで悶絶したわ。もう決めた。皆が石を投げても、俺は全力で庇うよ。