goatのメンバーとして知られる音楽家。実験的な電子音楽やノイズミュージックの分野で活動し、映画音楽の世界でも独特な存在感を放つ。 記事で言及されている『エストニアの聖なるカンフーマスター』では、DMBQの増子真二と共に劇伴を担当。ブラックサバスの記号的な使用とは対照的に、「マヌケな電子音楽」という表現で形容される独特のサウンドスケープを構築している。 彼の音楽は、映画の混沌とした世界観を支える重要な要素として機能し、特にエンドロールでの楽曲は強烈な印象を残す。『痴漢ドワーフ』などの作品でも知られ、カルト映画との親和性が高い音楽家として、好事家たちから熱い支持を受けている。
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ライナル・サルネ『エストニアの聖なるカンフーマスター』/世界中から礫を受けても
そもそも、ここに「女」の影はあったのか。革ジャン三人組のカンフーマスター。担いだカセットデッキで再生するブラックサバスをバックに、ソ連国境で大暴れする長髪グラサンの彼らからヌンチャクを授かった主人公。その日からカンフー道の明け暮れ。異様にノリの良いソ連製ディスコミュージックをバックに大暴れするも、返り討ちにあってボコボコに。それから色々あって、カンフーやっててかっこいい修道院にお世話になることに。
マジで、登場人物たちの行動原理が一から十まで理解できず、「今は、何をどうするために何をやってるんだっけ?」と終始迷子。魚屋にタコ買いに行ったら、コンクリ詰めされてるような気分。画がバッキバキに決まってる分、そこに何かあるはずだと信じて開いた扉の向こうには…何もない。しかし、虚無ではない。とにかく芳醇なから騒ぎが120分近くフル尺で繰り広げられるのでたまったもんじゃない。大好きだ。全ての映画、このテイストで作り直してくれ、とおかしな妄想に囚われてしまった。『テネット』とか、このノリで作ってたらもっと面白かったはずよ。エリザベス・デビッキを缶詰のトマトぶち撒けた上に座らせてさあ…。
世界観の鍵を握るサバスの使われ方は極めて記号的で、実際の劇伴はもっとマヌケな電子音楽の世界。超絶かっこいい(予告編もこっちのノリの方が良かったのに)。クレジット見たらgoatの日野浩志郎さんとDMBQの増子真二さんが担当とのことで、どういうこと??好事家には『痴漢ドワーフ』とか思い出していただければ。特にエンドロールで悶絶したわ。もう決めた。皆が石を投げても、俺は全力で庇うよ。