1991年公開の映画で、90年代アメリカの女性の生き方を描いた作品。原作は1987年の小説。二人の女性の人生を軸に、社会の理不尽と闘いながら、女性のエンパワーメントや友情、コミュニティの絆を描いている。主人公たちの強さと生きる勇気が印象的で、時代を超えて共感できるテーマを持つ作品として知られている。
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仕事して、麻婆豆腐作って、風呂入って、映画を観たら、力尽きて寝落ちしてしまう金曜日。週末に仕事を持ち越したくないので、無理矢理終わらせて今一息。おつかれさまでしたー。
U-Nextで『フライド・グリーン・トマト』を観る。母親が生前フェイヴァリットムービーとして挙げていた一本。90年代的な「垢」は目立つ(特にキャシー・ベイカーの演技に)ものの、凄く良い作品であ るのは確かなんだけど、進めていくと、母親がこの映画に見ていたものは何だったのか、自分なりに解釈できることがいくつもあって、胸に来るものがあった。どうしても、映画の感想というより、個人的な話になってしまう。
俺たちが生まれる前、父親と出会ってすらいない頃、死後に出てきた手記を読むと、母親には音楽や映画、文学にしか自分の居場所はないと感じていたらしい。他人と話も合わないし、学校から帰ってきては、ストーンズ聴いて映画観る、みたいな生活だったんだと思う。
一次大戦後の牧歌的な時代のアメリカで、強烈な理不尽と戦いながらも、活き活きとした人生を送った二人の女性の物語が、ある男性の死を軸に語られる一方で、その生き様に強烈にインスパイアされて少しだけ人生が変化してしまう女性も描かれる本作。作られたのは91年で、原作小説が87年とのことなので、母親的にはこの映画の現代パートに出てくるキャシー・ベイカーのごとく、強烈にエンパワーメントされたのではないかと想像する。三姉妹の末っ子だった母親の「シスターフッド的な関係性への憧れ」みたいなものも感じて、彼女の人間性についての理解が進んでいく嬉しさとちょっとの寂しさがここにはある。
母親のフェイヴァリットで覚えているもので未見なのは『ハートブルー』(これ観てキアヌファンになった母親。俺は今、ジョン・ウィックファンだよ)、父親の方はペキンパー『ガルシアの首』と、ポール・ニューマン主演の『動く標的 』。なんか、げんきそうな作品ばかりだな!