映画や映像コンテンツを気軽に視聴できる動画配信サービス。独自の「もうすぐ終了順」という機能が特徴的で、ユーザーの作品選びをサポートする。映画やドキュメンタリー、海外作品など多彩なラインナップを持ち、Netflix等と競合するプラットフォームとして知られている。
※ AIによる解説文(β)です。当サイトの内容を参照して、独自の解説文を構築していますが、内容に誤りのある場合があります。ご留意ください
うんうんと唸りながら曲を作っているんだけど、今日ふと4曲(うち1曲はインタールード的なものなので、実質3曲)合わせて6分しかないことに気がついた。どういう計算?なんかエディットの密度が濃すぎるのだ。一生終わらないのではないか、という予感の中で創作作業を進めるのは気持ち良いので、このままやる。
BananagunのFree Energyを聴いて、EPに入れるか迷っていた曲をボツにした。この曲から、AloyseのIntentionに繋ぐプレイリストが完璧で、その道を探っている(それをナチュラルにやっているのがヒタ・リーなんだと思うんだけど)。この演奏を聴いていても、ドラムとパーカッションに比べて、上物の演奏レベルは決して高くなく、とにかくルーズなセンスだけでこの雰囲気を出しているのが理想的だな、と思う。Geordie Greepは最高だけど、一歩足を踏み外したらアスリート的になってしまう危険を孕んでいる。
昨日はNetflixで『喪う』、今日はU-Nextで『ピンク・クラウド』を観る。どちらも、狭い住居という限定された空間で撮られた(ほぼ)密室劇。故に、同じような気だるい閉塞感が立ち込めている。
お気づきの方は少ないと思う。俺は基本的に、U-Nextのマイリストを「もうすぐ終了順」にして、終了日が決まっているものから観ていくことにしている。だからです。だから節操がないんです。ちなみに、他の配信プラットフォームにはないこの機能、すげえ重宝しています。こんなんでもないと、観るべき映画は溢れていて、どれから手をつけていいのかわからなくなる。『哀れみの3章』ですわ。「自由であるほど、不幸になっていく」…。
ということで、今日はアンヌ・フォンテーヌ『ボヴァリー夫人とパン屋』という得体の知れないゴーモン映画を観た。いや、得体は知れているはずなのだが、なんでマイリストに突っ込んだのか全くわからない。アンヌ・フォンテーヌは、一本も観たことがない。なんで?
出版社に勤めていた主人公マルタンは、父のパン屋を継ぐために地元で暮らすフランス人。隣に引っ越してきたイギリス人が、ボヴァリー一家。あまりにシチュエーションがフローベール『ボヴァリー夫人』に似ているもんだから、元出版社勤務の血が騒ぎ、妄想を繰り広げる。
「大人のファンタジー」と銘打った官能映画という触れ込みだったので、もっと慎ましやかか、ポルノ紛いのものなのかと思っていたら、まるで中学生の妄想のようなエロ描写が続く。パンをこねるジェマ(ジェマ・アータートン)のうなじ。ワンピースのざっくりとはだけた胸元。挙げ句の果てには、「スズメバチが入ったので、背中のボタン開けて、毒を吸い出して」と来た。クラクラしました。
ただ、テーマがどこにあるか分かりづらいのと、現代フランス映画的なのっぺりとカラフルな色彩感覚にもあまり魅力を感じられず、前述の中学生エロと、ジェマ・アータートンが魅力的なのと、あんまりにもあんまりで笑ってしまうオチ、以外にはそこまで飛距離の伸びない映画ではあった。『ボヴァリー夫人』ギャグ、特に殺鼠剤に異様に反応するマルティンとか、もうちょっと面白くなりそうな要素はそこかしこにあったのだが。『ボヴァリー夫人』未読だから良くなかったのか。なんにせよ、映画を楽しむにも、もっと教養が必要なんでしょうな…。
仕事して、麻婆豆腐作って、風呂入って、映画を観たら、力尽きて寝落ちしてしまう金曜日。週末に仕事を持ち越したくないので、無理矢理終わらせて今一息。おつかれさまでしたー。
U-Nextで『フライド・グリーン・トマト』を観る。母親が生前フェイヴァリットムービーとして挙げていた一本。90年代的な「垢」は目立つ(特にキャシー・ベイカーの演技に)ものの、凄く良い作品であるのは確かなんだけど、進めていくと、母親がこの映画に見ていたものは何だったのか、自分なりに解釈できることがいくつもあって、胸に来るものがあった。どうしても、映画の感想というより、個人的な話になってしまう。
俺たちが生まれる前、父親と出会ってすらいない頃、死後に出てきた手記を読むと、母親には音楽や映画、文学にしか自分の居場所はないと感じていたらしい。他人と話も合わないし、学校から帰ってきては、ストーンズ聴いて映画観る、みたいな生活だったんだと思う。
一次大戦後の牧歌的な時代のアメリカで、強烈な理不尽と戦いながらも、活き活きとした人生を送 った二人の女性の物語が、ある男性の死を軸に語られる一方で、その生き様に強烈にインスパイアされて少しだけ人生が変化してしまう女性も描かれる本作。作られたのは91年で、原作小説が87年とのことなので、母親的にはこの映画の現代パートに出てくるキャシー・ベイカーのごとく、強烈にエンパワーメントされたのではないかと想像する。三姉妹の末っ子だった母親の「シスターフッド的な関係性への憧れ」みたいなものも感じて、彼女の人間性についての理解が進んでいく嬉しさとちょっとの寂しさがここにはある。
母親のフェイヴァリットで覚えているもので未見なのは『ハートブルー』(これ観てキアヌファンになった母親。俺は今、ジョン・ウィックファンだよ)、父親の方はペキンパー『ガルシアの首』と、ポール・ニューマン主演の『動く標的』。なんか、げんきそうな作品ばかりだな!