日本の映画俳優で、コメディ作品で知られる存在。独特の表情と演技力で、福田雄一作品などで印象的な役柄を演じてきた。『岬の兄妹』の監督・片山慎三の作品にも関連し、日本映画界で独自の存在感を放つ俳優の一人。その演技は、社会の底辺を描く作品でも重要な役割を果たしている。
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映画『爆弾』

そもそも『爆弾』映画化の報に触れたとき、俺の中で「スズキタゴサクは佐藤二朗じゃねえだろ」という激しい違和、もっと宇野祥平とか松浦祐也みたいな、ケンカの弱そうなしょぼくれ演技の人が良いという確信は未だに消えないのだが、それにしても佐藤二朗は巧い。台詞や原作に書かれていない隙間を埋めていく一つ一つの所作に凝縮されたスズキタゴサクが、俺の頭のスズキタゴサクを超えていく。オーバーアクトを抑えつつ、リアリティラインをギリギリ超過してみせる。「ギリこんなやついない」。そんなファンタジーが、作品世界の荒唐無稽と調和して、エンターティメントの強度を裏打ちしている。(更に「類家は、にょぼりげミネ」という確固たるイメージがあり、妻にそれを話したら「言いたいことはわかるが、ビジネス的にそれは無理」と言われる。山田裕貴は素晴らしかった)
一方、これみよがしな説明台詞の応酬に序盤から若干目眩したんだけど、よく考えたらあの原作を映像で見せるとこういうことになっちゃうのかも。必然。そう思うと、力ある役者がその辺りの「臭み」を巧みに回避している瞬間がたくさんあって熱かった。俺が一つ選ぶとしたら、序盤の駐車場シーンにおける伊藤沙莉の「敬礼ジョーク」に坂東龍汰が返した棒読みワンワード。脚本(≒原作という意味で)の隙間を埋める役者と演出の機転がいたるところで光ってる。
ということで、これ、原作未読で観たら、超興奮するんだろうなーと思って羨ましい。隣のカップルが、上映中も喋り、携帯見るタイプの客で、終演後どう思ってるんだろうなーと耳そばだててたら、女性の方が呆然と「時間経つの忘れてた…」と申していたので、楽しんでくれて何より。反面、ラストにおける、動機の説明などは、あまりにサラッとしていて重みがなく、原作読んでいなかったらちょっとなんのことだったのかわからなかったかもしれ ないな、とも思いました。

さがす
……マジか……。「白いソックス」「トイレ借りてもいいですか」。脳に嫌な汗をかいちゃうんすけど…。
叩きつけるようなオープニング、伊東蒼演じる女子高生が、少し低めの画角での横移動で大阪の街を急ぐ。『ビューティフル・デイ』のリン・ラムジーとか、パク・チャヌクを連想させるような防犯カメラショットとフリーキーなドラムが切り裂いた時間の切断面を見せるような冒頭。たどり着いたのは、万引で捕まった父親(佐藤二朗の福田雄一にヤラれてないバージョン)のいるスーパーのバックヤード。

『岬の兄妹』片山慎三監督の最新作。デビュー作で社会の最底辺をこれでもかというぐらい描いたのと同様、本作も予告で想像する100倍ぐらい重い話。更に『岬の兄妹』では良い意味でも悪い意味でも緊張感を削いでいたコメディ演出がグッと控えめに、要所要所 で効果的に使われるバランスが全体に良い影響を与えていたように思える。結果、終始重苦しい話を、張り付いた笑顔のまま描ききるような凄みがあって、それがますます不気味である。
握り飯をくちゃくちゃと喰らい(クチャ食いのもたらす思考の淀み)、連続殺人事件の容疑者を発見したと言い残した父は、唐突に娘の目の前から姿を消す。消えた父親を「さがす」娘。タイトルにも象徴された「さがす」という言葉の意味が、主人公の主観が変わるのと同時に流転、印象も定まらぬまま物語は猛スピードで展開していく。誰が、何を、何のために「さがす」のか。注視したまま食い入るように展開を見つめていたら、ほとんど『ジャンヌ・ディエルマン』的と言っても過言ではない、驚くような光景に着地する。見事な物語、見事な演出だと、深く嘆息した。
佐藤二朗の濁った目。清水尋也の死んだ目。森田望智の腐った目。役者が皆見事な「目」。特筆すべきは、娘役の伊東蒼。決して典型的な美人、というわけではないが、地に足のついた魅力がある。それこそ、中学の同級生が本気で告白する程度には…という姿形の説得力。同時期に𠮷田恵輔監督『空白』(こちらも見逃してしまってる…が必ず観ます)にも出演しているとのことで、今後観る機会が多くなりそうだと思った。(小さい役だったけど、中田カウスみたいな喋り方の警官も面白かったな)
ディティールに注力するスタッフの力も活きている。冒頭は置きに行った感じもあったタイポグラフィーだが、時間経過の表示などでの、海外のドラマなどで見られる巨大サイズのフ ォントを使用しつつ、大胆な長体と見切れといった日本語にアジャストした実践がとても意欲的。髙位妃楊子さんによる音楽も、終始素晴らしい効果を上げていた。
父と母の無音の慟哭、シャツのボタンをとめながら思いがけず心を通わせてしまう二人、人畜無害そうな田舎のおっさんが見せる裏の顔、殺人犯の用意したクーラーボックスがひっくり返るシーンとか、いくつか忘れられないシーンがある。片山慎三監督に関しては、今後、深田晃司監督や、濱口竜介監督らと同様、多くの人にとって鑑賞を欠かすことのできない作家になりそう。日本だけではなく、世界で。