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Jerichow

アフガニスタンでの戦線から「不名誉な除隊」で帰国したトマスは、雇い主のアリとその妻の三人で、海岸でピクニックをしている。退屈そうな様子を隠さない妻のローラと対象的に、泥酔して踊るご機嫌なアリ。「俺はギリシャ風のダンスを踊っているんだ。お前たちはドイツ風に踊ってみせろ…」と、無理矢理チークダンスを焚きつけ、気の乗らぬまま踊る二人を残して崖の上に停めた車に飲み物を取りに消えると、崖下に残された二人は突如熱烈なキスをする。魔が差した。一瞬の間を置いて我を取り戻したローラに怒鳴りつけられたトマスが崖上のアリの元へ駆けつけると、ボーッと下を眺めているアリの姿が見え、次の瞬間、崖が崩れる。

アリは崖下を眺めていた。二人のダンスを見ていたのか。いつから?どこまで?この瞬間から「見る/見られる」の心理的圧迫感が物語全体を支配し、絶え間ない緊張感が、二人、つまりローラとトマス、そしてそれを観ている我々についてまわるようになる。二人の影の中にも、酔いつぶれたアリを介抱し、自室のベッドに寝かせると、矢も盾もたまらず廊下でまぐわろうとする二人に伸びる影の背にも、闇に溶け込むようなアリの視線が紛れ込んでいるような気がする。

見る/見られる関係性は、アリと二人、二人と我々、を一種の緊張状態の中に拘束してしまう。アリの「ビジネス」が内包している関係性における緊張感は、そうした状態をわかりやすく、社会の構図として描き出している。数多くの軽食屋を経営するビジネスマンであるアリは、毎日、経営する店舗に材料や飲み物を供給している。あの手この手でアリを騙そうとする雇われ店長たちに対して、「見ているぞ」と告げること。それが、アリに課せられたトマスの仕事の一つでもあるのだ。そもそも、妻であるローラの日常も、嫉妬と疑惑の目で監視し続けるのがアリの日課でもあった。

しかし、ローラも見ている。そして、彼女の見つめる闇は、見返してくる。闇の奥にいるのはトマスである。三角関係は、「見る/見られる」関係性の中で強化されていく。ある日、アリは二人を置いて飛行機に乗り出張に出かける。ローラとトマスに訪れたまたとない逢瀬のチャンスから、物語は急速に動き始め、監視を前提とした人間関係は凄まじい勢いで交錯し、物語はまたあの浜辺に戻ってくるのだった。

『郵便配達は二度ベルを鳴らす』に着想を得た、ドイツの映画監督クリスティアン・ペツォールトによる2008年の作品。『未来を乗り換えた男』以外は未見だったが、小道具や舞台を利用した伏線の張り方も気が利いていて、この頃から既に作風が完成していたのに驚いた。思えば、アリとトマスの出会いのきっかけとなった最初の自動車事故だって、何らかの符合であったに違いない。最終的に、その場に出されたカード全ての不誠実さに驚愕するしかなかった。ローラを演じたニーナ・ホスとの『Yella』『東ベルリンから来た女』も観てみたい。

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