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Mr.ノーバディ

身体が熱くなった。所謂「ナメてた相手が殺人マシーン」ものに名を連ねる、最高に渋いアクション・ヒーロー爆誕ですよ。Mr.ノーバディことハッチ・マンセルを演じるのは、あの「ソウル・グッドマン」ことボブ・オデンカーク。銃とクルマ。ダンスと暴力。ニーナ・シモンやサッチモの名曲を最高のタイミングで鳴らし響かせながらの登場に、何度か立ち上がって叫びそうになった。

「イリヤ・ナイシュラー」という名前に全くピンと来てなかったが、あの大傑作『ハードコア(原題:Hardcore Henry)』の監督様による最新作。加えて、脚本が『ジョン・ウィック』デレク・コルスタッドで、俺たちのデヴィッド・リーチプロデュース。よくよく考えたら最高の出来が約束されたような映画で。

つまらぬ日常(便宜上、ね)を送るつまらぬ人間(便宜上)が如何に徹底的に舐められてるか。そして、その舐められ主人公が如何につまらぬ原因(便宜)でブチ切れるか。そこに「ジョン・ウィックの犬を殺した(デップー2オープニング参照)」チームが、謎の意欲を以てオモシロの源泉を詰め込もうとしている件を改めて確認したい。冒頭、3分ぐらいでエレクトロニック・ミュージックよろしく金属音を伴ってリズミカルに描き切られる「単調な日常」に身をやつしたハッチの平穏で退屈な生活は、深夜の闖入者によって唐突に打ち切られる。息子が殴られるのは我慢、腕時計を取られるのも我慢、「数ドル」取られるのも我慢、その結果家族から腰抜け呼ばわりされるのも我慢、しかし無垢な愛娘の大事にしている猫のブレスレットは話が別

こそ泥を詰めるハッチは、しかしその夜をとある優しい事情で消化不良気味に終える。帰路に着くバスの中、飛んで火に入る夏の虫、ならず者ども入場。彼は、見ず知らずの女性客を「無事に家に帰すことが使命」と自己正当化作業を完了するが、その実、自己顕示と暴力への欲望がはち切れんばかりになっているのである。しかし、運命とは残酷なもの。ハッチによって完膚なきまでに叩きのめされた相手の中に、ロシアン・マフィアの大物の弟が紛れていたのである。

縁石に乗り上げ、ゴツンゴツンと対向車にぶつかりながら突然の方向転換、堂々の路駐から車道を横切り、夜のストリートを困惑させる。一連の動作で、手の付けられない敵を描く手付きも手慣れたもの。誰もがこの人物のソシオパスを確信したその瞬間、ステージ上でマヌケなダンスを踊る裸の王様。かと思えば簡単に残虐に人を殺め、その手で乾杯するのだ。演じるはズビャギンツェフの傑作『裁かれるは善人のみ』(!)で主演を務めたアレクセイ・セレブリャコフ。敵にとって不足はなし。かくして、猫のブレスレットからスタートした暴力のドミノは、止めるすべを持たぬままカラカラと倒れ始めたのだった。

「舐めてた相手が殺人マシーン」の金脈は太い。古くはペキンパー『わらの犬』から、『イコライザー』『狼の死刑宣告』『ザ・コンサルタント』『ザ・フォーリナー』…などなど、勉強不足なのか、俺が馬鹿なのかわからないが、上手く機能しなかった例をあまり見たことがない。にしても、このキャラもまた格別である。タトゥー屋で遭遇する男のように、正体を知る人物は、幾重にも施錠した中に閉じこもってしまうほど圧倒的な強さを誇る「会計士」ことハッチ。予告編で観れるバスでのアクションの「鈍重さ」が気になっていたが、覚醒してからはその「重さ」に加えて、ジョン・ウィック並みの「速さ」と、ロバート・マッコール並みの「工夫」を兼ね揃えた、文字通り「殺人マシーン」に変貌する(ラストバトルの工夫の数々はかの邪悪なジグソウの部屋をも想起させる)。彼の「チーム」である何人かの人物の成り立ち(一瞬カメラが捉えた写真を見逃すなかれ)とその魅力もまだまだ掘り下げ余地満載で、シリーズ化を猛烈に期待できる作品だった。新たな「ジョン・ウィック」のスタートを見逃してはいけない。

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