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M-1グランプリ2021

一晩経った今、思い出すのは結局、せり上がりのランジャタイ。巨人師匠のパネルを掻き分けたり、せり下がったり、大いにふざけ倒した結果、全てが台無しになる可能性も考えてハラハラしていた俺たちファンの気持ちをよそに、国ちゃんは伊藤ちゃんの背中をポンと叩いた。

ロコディ堂前さん曰く「お笑いファンが高熱の時に観る夢」、まるで「K-PRO主催のライブみたいな」メンツによる2021年のM-1は、同時に「俺たちの答え合わせ」のような側面も持っていて、「あんたらがやるわけじゃない」と国ちゃんに事前に釘を刺されようと、緊張を止めることが出来なかった。10年以上前から届いているのかいないのか、散々うるさいことを言い散らかし、愚痴り散らしてきた我々(俺、ひとりじゃないよね…?)。鼻エンジンを、天竺鼠を、オードリーを、金属バットを、そしてモグライダーを、真空ジェシカを、ランジャタイを準決勝どころかそれより前のステージで落としてきたM-1に、「じゃあ、お前の言う通りやってみるから、責任取れよ」と言われているような、そんな心持ち。当然、M-1側はガチでやってるだけだし、ここ数年の決勝を見ても、その真摯さには信頼を置いているから、都合、勝手に突きつけられてることになる。独り相撲。でも「自分が面白いと思っているものは、本当に面白いのか」という問いは確かにあって、それが俺の心を強張らせていたというわけ。

いつものように、午前中に大掃除を済ませ、ピザを取って家族でモニター前に正座。トップを引いてしまい苦々しく思う俺達の前に登場した猛獣使いモグライダーの噛み合わないシステムがきちんと大爆発して、番組の温度がグッと上がっていく。ランジャタイが超展開と全人類に伝わるキレッキレのマイムで「超客ウケしてるのに、賛否両論で最下位」という、プランBとして最高の出来(プランAは、とにかく爆発して優勝、です…)を残し、会場を別種のトランス状態にすると、明らかに出来の良いゆにばーす・川瀬名人が高得点にすら顔を歪める。真空ジェシカが正真正銘のネタ師としての実力を認められ、ロングコートダディの仕組みは本当に底知れなさを感じる。ゴリゴリのリズムで押し切るもものパフォーマンスを見る頃には、特殊な、お笑いでしか得ることの出来ない種類の感情に押し流されている。

オズワルドの二本目は、生では観ていないがYouTubeなどでおなじみ「割り込み」のネタ。何度観ても面白いこのネタを特に目立った失敗もなく披露した上で、ウケがあれぐらいになるんだから、「板の上の魔物」というのは実在するんだなと。それを顕在化してみせた錦鯉の「猿の捕獲」。オチまで完璧に決まった凄まじい出来に、人を圧倒するぐらいの「バカ」が神性を獲得するような瞬間を観たと思った。「Life is Beautiful」。

終わってみたら、みんな爆発してた。きちんと面白かった。それだけで、充分。「自分が面白いと思っているものは、ちゃんと面白い」。このM-1でちゃんと証明されたと思う。ふわふわと浮ついた空気の月曜日、TwitterのTLにも、Lineやチャットでの会話にも、どことなく昨日のM-1のかけらのようなものが存在していて、これから大きくなってくる。この強烈な道理の通じなさと、底の抜けたシステムが、漫才の大きなうねりとして新しい笑いの感覚を形成する。テレビだけではない、配信にも、文章にも、舞台にも。この新しい感覚は、新しい文化として浸透していく。そんな一年がもうすぐ始まるのだと思うと、気持ちが軽やかになる。それだけでも記しておきたいと思ったのでした。

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