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マーク・デュプラス&サラ・ポールソン『ブルージェイ』/弱さそのものを主題とすること

「今世紀最高の恋愛映画である!」とかブチ上がりそうになるが、これは40代後半の自分が観るからそうなるのであって、若い頃はもっとキラキラしたものを観ていてよい。そうすることを薦める。髭面で冴えない風体のジム(マーク・デュプラス)が近所のスーパーで酒を物色していると、かつての恋人であるアマンダ(サラ・ポールソン)に遭遇する。勇気を振り絞ってコーヒーに誘い、近所のカフェ「ブルージェイ」に落ち着くと良い雰囲気で話もそこそこ盛り上がる。かくして、二人はジムの実家で、各国のビールを呑みながら思い出話に耽るわけです。

終始、二人は楽しい夜を過ごすのだが、一皮剥けば小さな傷口が疼いている。割と早々に、それこそ実家に到着するよりもずっと前に、ジムが現在職を失ったばかりであることが判明する。何度もささやかに涙を流しながら、それを笑い飛ばす彼の姿に動いた感情が、彼らの別れを少しずつ先延ばしにしていく。楽しかったかつての思い出、懐かしい品の数々に笑い転げながら、外側の見えないところでまだ開いた傷口が、彼らを痛めつけていることに我々は気づかない。

そんな二人が、何故別れたのだろう。彼らの間に立ち込めている黒雲を観ないふり。夫婦ごっこでチークダンスを踊りながら、流れる音楽は今の二人の心を完璧に代弁しているかのように聞こえるのに、気づいているのか全く気づいていないのだろうか。二人を決定的に傷つけた出来事を迂回しながら、享楽的な夜の闇が毛布のように彼らを包みこんでいる。

アメリカの恋愛映画に、マンブルコアがもたらしたものは「弱さそのものを主題とすること」だと、改めて感じた。とは言え、この映画からマンブルコア的なものは何も感じない。完全にプロフェッショナルにコントロールされたマーク・デュプラスとサラ・ポールソンの会話劇は、信じられないほど楽しく、美しく、悲しい(特に、サラ・ポールソンは良いと思ったことがなかった。本作がベストだと思う)。

MCATM

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