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こおろぎ

鈴木清順『ツィゴイネルワイゼン』を観たときのような、「最終的に何を言いたいのか全くわからないが、とにかくすごい映画だ」という感想を抱いてしまった青山真治監督の2006年作。

盲人(山崎努)と、共に暮す女性(鈴木京香)の関係性を中心にして、物語は展開していく。この二人の「生活」が、どのように成立しているかわからないところにそもそもの謎がある。「お義母さん」への手紙、戸に引っかかっている片方の靴、咎められる「嫉妬」、気怠そうに投げ捨てられるひまわりの種。山崎努は、真贋のほどがよくわからない謎の光を浴びて恍惚とした表情を浮かべ、それぐらいのタイミングで場面のここそこから「生活」の真の様相が滲み出し始める。

盲人と女性の食事シーンは、とにかく下卑た気配に満たされている。食への衝動を抑えようとしない盲人の手つきには自らの野卑に対する遠慮が見られず、二人きり寝室で対峙しているような瞬間よりも遥かに野蛮でエロティックである。顔や衣服にソースや食べかすをべったりとつけ、油まみれの指を執拗にねぶる。それに応じる女性の妖艶な表情。正直、鈴木京香がこんなに蠱惑的な女優だったことを知らなかった。それを確認できるだけでも、この映画には価値がある。

一見、女性が盲人を支配しているように見える。しかしこの食事シーンが見せるように、関係性は目まぐるしく変化する。安藤政信と伊藤歩のカップルが登場してから、物語は一気にあらぬ方向に加速していく。二人は、女性を盲人の支配から解き放そうという素振りを見せる。しかし、それは新たな支配の始まりである(つまり、カップルによるこの女性に対する支配)というのが相場なのだが、驚くことに、盲人の支配力は嫉妬と比例するようにここを以て増していくのである。

漁業組合の運営するフリードリンクのクラブで、安藤政信たちの不穏なカップルと鈴木京香は出会うことになる。次の機会にそこを訪れ、ビールを頼もうとすると、店員は丁寧に「フリーなのはソフトドリンクだけなんです」と伝える。この会話のような、何故取り上げたのかわからないような些事にまつわる意味を紐解いていかなければ、この映画の真髄には到達できないような気がしている。実は、青山真治監督作品、観るの初めてだったのだ。また観る。

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