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黒澤明『生きる』/シニカルな諦観に抗うこと

ブラボー!喝采をあげた。突然スコーンと別世界飛ばされたような爽快な顛末と、重油のように重苦しい不条理。相変わらず音声が聞き取りづらいのもあり、正直、何のためにあるのかよくわからない時間も多々あって不安に思っていたんだが、後半の流れに持っていかれた。現代から見るとベタベタな話を、葬儀の場で過去を語らせるというトリッキーなやり口で語りきったのはどう考えても凄かった。俺は少なくとも、力強く生きることの意志の大切さ、みたいなものを直球で受け取って、興奮したのだった。ブラボー!

冒頭のコミカルなやり取りから一転、胃がんでの余命宣告を暗黙に解した主人公渡辺は、しばし無音の街路を往くと、突如周囲の騒音の激しさに動揺するほどの動転。明かりをつけるのも忘れるほど茫然自失した様子の暗い部屋で、階段を登ったり降りたりと後ろ姿の寂寞がある。「命短し恋せよ乙女」を歌う姿は簾越しで、一瞬外界から隔絶された呪文のように響く。かくのごとく、視線を遮るか遮らないかの判断で、状況を伝えるすべが上手く、逆にコミカルなシーンではすべてがあっけらかんと明かされてしまうこのリズム感。

しかしこの格子の構図は、後半にかけてより重要な意味を持つ。本作と言えば、の「ブランコ」シーン。手前から捉えられた横向きのブランコは、ジャングルジムの格子を突き抜けて、我々の視界に飛び込んでくる。その直後、渡辺の帽子を持った光雄が葬儀会場からふすまを開けると、そのふすまの格子はジャングルジムとそっくりの構図にも見えてくる。しかし、その奥行きは、かつて戦地に赴く息子を見送った、あの列車の構図にも相似している。「みつおみつおみつお」。声が聞こえてくるような気がしてくる

「ミイラ」のように萎びてつまらない渡辺の生活は、奪われたものの代わりに買った派手な帽子と共に滅びる。元部下の女性との逢瀬の中で、その生命力から何かを得ようともがく彼が、日常の「つまらなさ」の中に生きる目的があるはずだ、と開眼したその時、表に向かう階段の背後から「ハッピーバースデー」の歌唱が聞こえてくると、あまりのキマりっぷりに膝を叩いた。彼の「生き直し」が始まると、それ以降、女は物語から姿を消し、彼女が作ったウサギのおもちゃだけがその影を残している。


痛快娯楽大作だった『七人の侍』から、こんな人の陰影を描く作家になったのか…とかしみじみしてたら、これ『七人の侍』の二年前の作品だったんですね。幅が広すぎて愕然とした。リメイク作も観てみるけど、これを超えられるかね…?

MCATM

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