現代のソーシャルメディアは、個人の表現と発信の場として機能する一方で、そのパワーを搾取する構造も持っている。 「素人は黙ってろ」という圧力が世界中で強まる中、SNSは一見民主的な発言の場を提供しているように見えるが、実際にはアルゴリズムや炎上リスクによって発言を制限し、ユーザーのエネルギーを消耗させる装置として機能している側面もある。 批評や考察を公にすることへの躊躇、専門家と素人の境界線の問題、そして発言することのコストとリスクが高まる現状において、SNSとの距離感を見直すことは重要な課題となっている。真の意思表示には相当なパワーが必要であり、そのパワーをどこに向けるかの選択が問われている。
※ AIによる解説文(β)です。当サイトの内容を参照して、独自の解説文を構築していますが、内容に誤りのある場合があります。ご留意ください
自分の間抜けさもあってひどくバッド入ってしまった月曜日。仕事でも失敗してしまって、時間を ロスしてしまったが、無理矢理元気な雰囲気出していったら、自分の脳も騙されてきて、夜には少し立ち直った。
『漫才過剰考察』はどこかで読もうと思っているんだが、高比良くるまのインタビュー読んでて、メモ程度でもお笑いについて書いたものを公にするのは止めようと思った。お笑い業界の「批評恐怖症」についてすごく思うことはあったんだけど、去年、芸人が大量に出ているお笑い考察本が出版されているのを見て、まあ有り体に言えば「素人は黙ってろ」ってことなんだろ思った。くるまインタビューは、正直何言ってるんだか全然わからない矛盾だらけの話だったけど(そもそも過剰に考察したものを見て、考察止めて欲しい、って流石に無理がありすぎない?)、ただ強烈な「素人は黙ってろ」の意志は受け取った。ので、黙ってようと思った。M-1三回戦メモも更新しないし、今年の動画が消されたら非表示にします。お笑いの話はクローズドでしかやらないことにしました。ちなみに、高比良くるまは嫌いじゃないです。
世界中で「素人は黙ってろ」の意志表示がなされている。昨日、兵庫県知事選挙の話を書いたんだけど、トランプ再選についてもそう。「素人は黙ってろ」「バカは口を開けて餌を待て」「勝ち組に乗れ」というメッセージの中、「黙らん!」と意思表示するのにはパワーが必要。そのパワーを、SNSに搾取されるのはごめんだと、行動指針を改めた日になりました。
夜は『ゴッズ・オウン・カントリー』を観て、深く感動した。映画にも「素人は黙ってろ」の波が押し寄せたら嫌だなー、と思った。