Netflix発のSFドラマで、80年代アメリカを舞台に、超能力少女エルと仲間たちが異世界の脅威と戦う物語。シーズン5で完結した本作は、コズミックホラーの要素を持つ青春ドラマとして高い評価を得た。ポップカルチャーへの豊かなオマージュと、キャラクターの深い感情描写が特徴的な作品。
※ AIによる解説文(β)です。当サイトの内容を参照して、独自の解説文を構築していますが、内容に誤りのある場合があります。ご留意ください
『ストレンジャー・シングス シーズン5』

物語、それもドル箱の物語を、きちんと終わらせるというのは、大変難しい(難しそう)。終わらせたいという欲望(それは大抵原作者の側から発せられる)と、終わらせたくないという欲望(それは大抵ステークホルダーの側から発せられる)のせめぎあいの中、強いられた消耗戦の末にしおしおと萎んでいく光景を見るのは本当に辛い。だから、まず、ストレンジャー・シングスがきちんと終わってくれる、ということにこの上ない喜びを感じる。
(以下、シーズン5のネタバレはしないが、それまでのネタバレは多少含む)
結末への旅路は、傑出したシーズン4から始まっていたと思う。80年代オマージュを多分に含んだシンプルなジュブナイルSFの傑作として産声を上げたシーズン1から、あまりに多幸感溢れるシーズン2の「スノーボール」までは、マイク、ルーカス、ダスティン、ウィル、この愛すべき4人のボンクラに、超能力少女エルと、クールなマックスを加えた少年少女に与えられた理想的なハッピーエンディングを迎えたドラマとして認識していたので、シーズン3の別離でビターを踏み越えてしまった時はモヤモヤを感じてしまった。物語の円環が閉じていない。だから、シーズン5で物語が閉じる、と聞いて思ったのは「ストレンジャー・シングスなりのハッピーエンドのやり直し」とはどういうことを意味するのだろう、ということだった。それは単純なハッピーエンドにはなり得ないだろう、という予感というか推測も当然ありながら。
この辺に巧さがあったと思う。話は深く、登場人物は増え、謎は深まるのだが、同時に焦点は絞られ、人物の関係性は整理され、イシューは明確になっていった。ヴェクナは退けられたものの、4人の犠牲を以てホーキンスは破壊された。だから、ヴェクナを再び決定的に退けなければならない。しかしどうやって?シーズン5は、正しくこの問いから幕を開け、裏側の世界と精神世界についての認識を更新しながら、丁寧に整理していく。
では、このイシューの先にある「新しいスノーボール」はどのように在ったか。単に配信初日に見る機会を得たというだけの優越感からそれを開陳するような悪趣味には堕さない。多くに枝葉を広げ、多くの世代が参加したこの物語を、厳しく寂しくも楽しく締めること。その難題にどのように取り組んだのかは各々が確かめて欲しいところ。俺はとにかく、コズミックホラーに至るまで拡張を重ねたこの物語の結末が、かくもパーソナルであったことに歓喜の涙を止められなかった。ちゃんと終わらせてくれて、本当にありがとう。
『スプリー』
全く人気の出ないYouTuber(もしくはTikTokerか、Instagramer)が、肥大した承認欲求を持て余して、ライドシェアサービス「スプリー」の運転手として生活している。が、遂に、彼はバズること間違いなしの新コンテンツ「レッスン」を始動。業務中の車内に配信カメラを設置、準備万端で生配信を開始すると、視聴者の無責任な煽りを受けて、暴力を過剰にエスカレートさせていく。

『ストレンジャー・シングス』ジョー・キーリー主演作。あんま評判が芳しくない本作だけど、かなり楽しめたんすよね、俺。「ジョー・キーリーが男前すぎて、なんで人気が出ないのか説得力にかける」「この車を買う予算はどこから出たんだ…?両親共に裕福ではなさそうなのに」「車内で殺しまくってるのに、新車みたいにピカピカになってるのどういうことなんだ?」などの疑問が湧きまくるのは確かに低評価ポイントだけど、そこに目を瞑ればかなり優秀よ。承認欲求だけ高くて頭が決定的によろしくない雰囲気を完全再現したジョー・キーリーの卓越した演技力のおかげで、こいつの配信に人気出なさそうな点には納得行くし。
特に、物語的な納得感があるわけでもない、身も蓋もない伏線回収も、くだらねえけど恐ろしいラストの展開も、虚無的で皮肉が効いてて良いセンスだなと思った。色々めんどくせえところすっ飛ばした『ジョーカー』であり、勢い任せの『ありふれた殺人』っぽさも感じる。みんな気づいているSNSの持つ恐ろしい側面を、超軽薄に描いた秀作。