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アティナ・ラヒル・ツァンガリ『アッテンバーグ』/骸となった街で

空想と現実の間には、ぼんやりとしてはいるが、境界線のようなものが確かにある。そして、たびたびその境界線は、いつの間にか現実に蝕まれている。

冒頭で映し出される、主人公マリーナと親友ベラによる女性同士の濃厚なキス。実際には経験豊富なベラによる「レッスン」であり、性的な興奮や熱は一切感じられない、危なっかしく行ったり来たりする空想と現実の狭間であるが、ここには現実的な上下関係を示す徴がぼんやりと浮遊している。踊り、歯を剥き、股を押さえる。おそらく過去のある一時期のものであろう、随所に挿入されるワンピースを着た二人のシークエンスに観られるような蜜月は、じわじわと決裂していく。まるで、機能を失った街のように。境界線を侵食された空想のように。

アセクシャル傾向を自認するマリーナは、「性欲がない」と病気の父親に相談する。その「性」は、徹底的に「研究対象」として開発され続ける。アラン・ヴェガを崇拝するエンジニアの男性(演じるはヨルゴス・ランティモス)との性行為は、レクチャーの成果確認作業の場として利用され、故に、熱を失っている。死せるノンバーバルコミュニケーションは、ベラとのテニスなどでも象徴的に挿入される。噛み合わない球のやり取り。死んだ街の光景同様、関係性が色を失っていく

マリーナとベラ、二人が親友であった頃の関係は、ある種の獣同士のコミュニケーションのように、しばしば理性を失った身振りへと発展する。動物学者デイビッド・アッテンボローのことを「アッテンバーグ」と言い間違えるベラ。マリーナの好むアッテンボローと、ベラの言い間違えるアッテンバーグは、空想と現実の波打ち際のような応酬との相似形を以て、二人の関係における理性と獣性のシーソーゲームをも暗示する。死にゆく父の願いを叶える、おそろしく空虚な結末を以て、現実は、街は、曇り空に骸を晒している。

ランティモス『籠の中の乙女』と並び、「ギリシャの奇妙な波」の代表的な一本として知られる、アティナ・ラヒル・ツァンガリ監督作。ランティモスのパートナーとして知られる主演のアリアン・ラベドが、その特異な身体つき含め、やはり良かった。

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