映画とは単なる視聴体験を超えた芸術形態。年間数百本を観ても、その本質は量ではなく、何を受け取り、どうアウトプットするかにある。ランティモスの「憐れみの3章」のような深淵な作品から、ヴラーチル監督の「マルケータ・ラザロヴァー」のような現代的感覚を持つ歴史劇まで、映画は多様な表現を持つ。視覚的美しさと物語が交錯する瞬間、それこそが映画を観る本質的な喜びだ。冒頭ショットの完璧さに唸り、色彩の対比に目を奪われる体験—そのために我々は映画を観続ける。
※ AIによる解説文(β)です。当サイトの内容を参照して、独自の解説文を構築していますが、内容に誤りのある場合があります。ご留意ください
My Best Contents 2024
今年も残すところあと三分。今年はアウトプット控えめに、とにかく言い訳できないぐらいインプットしてやろうと心に決め、結果450本も映画を観ることができた。それで分かったんですが、この定額配信時代、映画を沢山観るだけなら誰でも出来る。そこから何を受け取り、何をアウトプットするかが一番重要で、それ以外は本数に何の意味もないです。それが分かってよかった。来年はゴリゴリアウトプットしていきますので、何卒よろしくお願いいたします。
俺デミー賞2024
10. システム・クラッシャー
自らの怒りを制御できない子どもを前にして、大人は如何に振る舞うべきか、我々の倫理観も問われる物語。全ての甘い退路が一つずつ潰れていく絶望感。この作品は、安易に答えを出すことを許してくれない。
https://www.rippingyard.com/post/Ed6U2ECq33oatdLJnUIO
9. フォールガイ
この手の映画が好きだった母親のことも思い出してより感情が昂ってしまったのはあれど、あの頃、こういうイカした映画って沢山あったよなー的錯覚(今も良い映画は沢山あるので)に陥ってしまうぐらいの、突き抜けたアクション快作。
https://www.rippingyard.com/post/9HIiBgQgOMKy9WtVJLqr
8. インフィニティ・プール
ディストピアSF的な設定の妙とか、脚本の良さもあれど、それを上回る暴力的なテンションといいますか、作り手側の過剰な昂りを感じてしまう。現代最強女優の一人、ミア・ゴスがそれをさせている。
https://www.rippingyard.com/post/o8mcsYMKJfaSf3SUvdRG
7. 悪は存在しない
世界の混沌を見かけ上の静謐に押し込める。直前に観たゴダールとも見事にリンクした、淀みの連鎖。 この毒に対する観客各自のリアクションが、ラストの解釈の多様に結びついていくのではないか。
https://www.rippingyard.com/post/ff4zDJvQaG8X6y8axqci
6. 二つの季節しかない村
ヌリ・ビルゲ・ジェイランのことは、半分ギャグ作家だと思ってる。ここまで性格の悪い人間が主人公だと、ここまで場が荒れるのだ、と感心。3時間は敬遠しがちだが、超性格悪い人の滑稽な所作が観れるとなるとこれでも短いのではないか?
https://www.rippingyard.com/post/QxaIPEtXwjw2iHAncx8W
5. 夜明けのすべて
素晴らしい演技、素晴らしい脚本、素晴らしい撮影に加えて、素晴らしい事後鼎談。なんか他に言うことある?客観的に見ると、今年の邦画ナンバーワンだと思う。
https://www.rippingyard.com/post/NRhfrQ8vDQVGkq8C8KRS
4. 墓泥棒と失われた女神
『チャレンジャーズ』に続けて、俺の中でジョシュ・オコナーの名が特別なものになった(『ゴッド・オウン・カントリー』も素晴らしかった)。今後もとんでもない映画を撮り続けるであろうアリーチェ・ロルヴァケルにとっては、通過点なんだろうなあ。
https://www.rippingyard.com/post/PeKiy4Ip6gXien7w3olR
3. 憐れみの3章
若輩者の俺はまだまだ深淵には迫れなかったが、その後、レビュー読んだり、町山さんの解説を聞いていたら、古代ギリシャ悲劇に通じていればもう少し理解は進みそう。こういう世界の広がりを感 じさせてくれる作品が好きだ。個人的にはランティモスのベストかなーと思う。
https://www.rippingyard.com/post/yVYIowg4AOyU4OqyO2t9
2. 若武者
どうしても外せなかった一本。ここで展開される邪悪な屁理屈と、シンプルな日常描写は、鋭利な現代日本批評になっていると思うし、それをここまで直感的に面白く料理できるのはかなりの手腕だと改めて思う。
https://www.rippingyard.com/post/C4XFoBPQerLUpTBMg5oZ
1. グレース
圧倒的。視覚的な美しさと、肥溜めの中に咲く花のような瞬間が見事に交差して結びついている。こういう体験をするために、俺は映画を観ている。
https://www.rippingyard.com/post/DJbmrdFrBkk5mRsYkvk5
よく聞いた音楽
youra、Tyla、Caoilfhionn Rose、ナルコレプシン、デキシードの新譜、Geordie Greep、JW Francis、山二つ、fantasy of a broken heart、Bananagun、ALOYSE辺り。中でもベストアルバムは、Being Dead「Eels」。
印象的だった本
レイモンド・カーヴァーや今村夏子を再発見したり、相変わらずJホラーが充実してたりと色々ありましたが、特に印象深かったのは、ナージャ・トロコンニコワ『読書と暴動』とか、野矢茂樹『言語哲学がはじまる』、『優等生は探偵に向かない』辺り。
2024-12-31 15:10- 映画
- システム・クラッシャー
- フォールガイ
- インフィニティ・プール
- 悪は存在しない
- 二つの季節しかない村
- 夜明けのすべて
- 墓泥棒と失われた女神
- 憐れみの3章
- 若武者
- グレース
- チャレンジャーズ
- ジョシュ・オコナー
- ゴッド・オウン・カントリー
- アリーチェ・ロルヴァケル
- ランティモス
- Being Dead
- Eels
- youra
- Tyla
- Caoilfhionn Rose
- ナルコレプシン
- Geordie Greep
- JW Francis
- fantasy of a broken heart
- 山二つ
- Bananagun
- ALOYSE
- ナージャ・トロコンニコワ
- 読書と暴動
- 野矢茂樹
- 言語哲学がはじまる
- 優等生は探偵に向かない
- レイモンド・カーヴァー
- 今村夏子
- Jホラー
- Film
- Music
- Book
目下、風邪罹患中。大分恢復の兆しあり。家荒み、食生活に翳り。
寝ている間に観た映画、数えてみたら10本でした。これ、大人としてあんまよくないね。無事、年内400本達成。記念すべき400本目はハーシェル・ゴードン・ルイス『血の祝祭日』でした。なんつうもんを観てるんだ。
今のチームになって、初めてペアプロにトライしてみる。自分でホストしたことがなかったので不安だったんだが、すごく楽しく終われてよかった。みんなで和気藹々とコードを書けばよいところを、何故かゾーンに入ってしまい、無言orブツブツ独り言言いながら、超高速で実装してしまいちょい反省。
金曜日、一週間の疲れ を引きずったむすこと、近所のつけ麺屋で食事を済ませた後、ルネ・クレマン『パリは霧にぬれて』を観る。タイトル通り、濃い霧に包まれたパリで、貨物船に揺られるフェイ・ダナウェイを捉えた冒頭のショットの完璧さに、思わず唸り、ここで映画が終わっても良いとすら思う。自分の子どもたちが誘拐されてしまう未来を暗示する不吉なシーンでは、灰色の街、灰色の階段を黄色のフラフープが落ちていく。わかりやすく黄色がアクセントとして効いていて、めまいがするほど良い。
しかしながら、この謎めいた誘拐事件を捉えた物語は、後半、わかりやすく安っぽさを露呈して大失速していく。文字通り「組織(Organization)」と呼ばれる存在が明らかになっていく中、この「組織」の計画があまりに杜撰すぎるのである。ただただ、段取りが悪かったり、頭が悪かったりで、ぐずぐずと自爆していく「組織」を見て、なんか苦笑するしかなかった。全盛期のフェイ・ダナウェイがハッとするぐらい美しいのだが、皮肉なことに「組織」の間抜けさを強調するだけになってしまった。とにかく、冒頭だけ、観てみてください。予告でも雰囲気は味わえます。
『マルケータ・ラザロヴァー』/白黒のキャンバスに像を結ぶ野蛮なリアリズム
雪の舞う極寒の地を往く伯爵一行が、物も言えぬ白痴に見える片腕の男とすれ違うと、やおらスリングを取り出したその男の奇襲に遭い、伯爵の息子クリスティアンとその従者が捕らえられてしまう。略奪者であるコズリーク一家。彼らを捕らえんと復讐に燃えるビヴォ隊長をはじめとする王の部下たち。そしてその抗争の隙間で、細々と生きるラザルの一家。中世ボヘミア王国を舞台に、それらの勢力が三つ巴のにらみ合いを続けている。
野蛮に、狡猾に生きる人々と、神に仕え、禁欲的に生きる人々。その価値観が交錯するところに、火花のように散る物語がある。ラザルの娘マルケータ(マグダ・ヴァーシャーリオバー)は、修道女となる定めに生きる美しい処女。ラザル一家は、隣人コズリークの野卑さや野心を疎ましく思いつつ、実際はおこぼれに与るようにして生きている。雪の大地に黒く散る狼と、白い空を往く鳥のように。
王の命の下、捕縛の罠にかけようとした元ビール職人の”ビヴォ(ビール)”隊長を自ら返り討ちにするたコズリーク。ラザルたちに同盟を持ちかけるも袋叩きに遭い、復讐を誓うコズリークの息子ミコラーシュ。成り行きで「無意味な」死へと誘われるビヴォの補佐官。立場や大義に合わせて色を変えて みせる人間たちの業が暴力と死に彩られ、穢れを知らぬマルケータの運命に黒い影を投げかけている。
禁断の「恋」に囚われ、社会によって汚れの烙印を押されることとなったマルケータは、実際に聖性を象徴する修道女たちと、図像的にも対照を成していく。いかにもキリスト教的で神聖なコーラスと抽象的な音楽、ぼんやりとモヤのかかったような音響処理や、リズミカルに切り替えされるカットと太鼓のシーンなど、音楽的なアイディアも効果を挙げる。決定的なマルケータの「堕落」と、盲目的に卑俗を拒絶するかのような修道院が、イメージの上で対比したまま、突き落とされるような衝撃が物語の終盤を貫いていく。
神聖なるものの欺瞞。野卑な存在の逆説的な崇高さ。シンプルな二律背反が成立しえない、不安定な秩序が頼りなく成立した大地で、女性たちは生かされている。社会に押し付けられた「聖性」と、同じように投げつけられる「魔性」。片側では聖なるマルケータが、片側ではコズリークの淫靡な娘アレクサンドラが、それらを表象し、彼女たちはそうしたイマージュによって社会に捕縛されている。その傍らでいくつもの「奇跡」がサイケデリックな像を結ぶと、かくして女性の神秘は一方的に称揚された挙げ句、抽象の中でその実際の「生」はあまりにも軽んじられていく。
ヴラジスラフ・ヴァンチュラの同名小説を原作とした、チェコの実写映画最高傑作と言われる1967年のフランチシェク・ヴラーチル監督作。極めて厳格な自然主義によって、ショットは後景にぼんやりと溶け込み、人々の顔は見切れている。多くのファンが垂涎して公開を願った本作は、蓋を開けてみると「A24の新作」と言われても疑わないほど現代的な歴史劇。例えばアメリカのような国で人工妊娠中絶が禁止されようとしている今、女性の「生」について改めて考えさせられるような、冷酷な視線に震えた。野卑な男性社会にも、ヒステリックな欺瞞に満ちた宗教にも見捨てられたマルケータは咆哮するのだ。
青山真治『EUREKA/ユリイカ』/円環と失われた声を求めて
青山真治さんが亡くなるという悲しい出来事がきっかけで、あの『ユリイカ』を映画館で観る機会を得た。2000年代初頭の東京(周辺)で20代を過ごした皆さん同様、僕らも少なからずジム・オルーク狂だったので、『ユリイカ』を観ることは当然必須であった。にも関わらず、(僕だけが)未見のままここまで齢を重ねたのは、シンプルに「向き合う姿勢が出来ていない」と考えていたからだと思う。すっごく自己陶酔的な物言いだな、と思うけど、何度思い返してもやっぱりそうとしか思えない。
つまり、テアトル新宿に向かう僕にとっては、この鑑賞体験は、二重に襟を正す、とても貴重な機会だった。その物言いの鋭さや、作品の完成度(僕はここ数年で2本観ただけの青山真治初学者なんだけど…)から、ある種の畏怖のようなものを感じていたんだと思う。なるほど、実際に観た『ユリイカ』はとんでもないものだった。その円環の中に囚われて、3時間超などあっという間。
ある日、路線バスの運転手・沢井(役所広司)と、通学途中だった兄妹・梢と直樹(宮崎あおい・将)の三人は、数人が殺害されたバスジャック事件の数少ないサバイバーとなる。生き残った沢井は、妻を置いて行方を出奔。かたや、マスコミの執拗な取材攻勢に梢と直樹の家族は崩壊。母は外に男を作り、酒浸りの父も交通事故で失うと、失語症となった二人は孤独な生活を始める。
事件から二年後、沢井が突然戻ってくる。妻も出ていってしまい実家にも居場所を失っていた沢井は、友人のつてで土方の仕事に就くが、町内では未解決の連続殺人事件が発生していて、同僚の美しい事務職の女性とただならぬ雰囲気になっているうちに、殺人の容疑をかけられてしまう。死んだような目がますます濁っていく沢井は、唐突に梢と直樹の家に転がり込み、兄妹の従兄弟も含めた四人による共同生活を始める。
路線バスで毎日同じところをぐるぐると周り続けていた沢井。この「回転」が、ナラティブを前進させる動力となっている。バスジャック犯に後ろ手で縛り合わされ、拳銃を向けられる中、もつれるようにくるくると回転するうち、二人はアイデンティティを放棄してしまったかのように溶け合ってしまう。回転するカセットテープは、歌を響かせている。相手の告白を待って、夜の自転車は延々回り続ける。回転。物語は回転している。
対になるように、発話が、声が発せられる。失語症となった兄妹が、「会話」をする。声が届かぬ壁の向こうの相手に、遠くの相手に、コツコツと壁を叩く音が、テレパシーの声が、そして歌が、発せられている。一方で、 尋問中の刑事がペンで机を叩くコツコツと執拗に響くその音に、返答する者はいない。
回転と声、その2つのモチーフが、長い旅路を経てようやくひとつにまとまっていく。バスジャックで受けたトラウマを乗り越え、前に進むための旅路。沢井は、兄妹が、そして自分が、世界を取り戻すために前に進めるということに疑いを持たない。その当然の着地として、エンドロールの回転がある。いくつかの決別、いくつかの悲しみを経て、世界は声と色を取り戻していくのだ。
長時間にも関わらず無駄な描写が見当たらず、セピアがかった画の美しさ、ジム・オルークの名曲「ユリイカ」のみならず、アンビエンス含む音楽も良い。役者陣も、役所広司や宮崎あおいが素晴らしいのはもちろん、光石研や松重豊などの名脇役と並んで、国生さゆりの演技が印象に残ったことを覚えておこうと思う。一度きりの鑑賞だとまだまだ解像度が上がらず、全体を解釈するに覚束ないが、これだけは言える。素晴らしい映画体験だった。もっともっと、青山監督の作品が観たかった。ご冥福をお祈りします。