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ラドゥ・ジュデ『アンラッキー・セックスまたはイカれたポルノ』/諧謔と皮肉に満ちたコメディの全方位砲火

真摯な批評の断片が積み重っているだけなのに、ここまで圧縮して出力すると、途端に悪意の塊としてしか捉えられなくなる。容赦も忖度もなく、雪崩のように襲いかかってくる批評が、そのスピードと濃度故にコメディに見えてくるような現象。ルーマニアの映画監督ラドゥ・ジュデによる最新作。

自身の性行為を録画したプライベートなポルノ動画が流出し、保護者を中心にした「人民裁判」の被告席に立たされようとしている女性教師エミ。「監督による自主検閲版」が上映される日本では、そのえげつない内容はComic Sans、Microsoft Word Art、GifライクなループアニメーションとLo-Bitなアジテーションで覆い隠されている。「殺人は映していいけど、これはダメなんだってさ!」

三章構成の第一章では、その対応に右往左往しながら街をさまよい歩くエミの姿を観察するカメラが、僕ら観客の散漫な思考をシミュレートするようにフラフラと落ち着かない。今エミが出ていった朽ちた建物を、カメラが延々と舐めるように移動し続けると、やはりそこには何も存在せず、宙ぶらりに着地しなかった視線が、しかし何かを確実に主張している。とは言え、字幕にはし切れないほど強烈な情報量は、ルーマニア語者であったとしても捕捉に限りがあるはず。空虚な町中の風景は、コロナ禍における空気をパッケージしているようにも見える。

唐突に挿入されるアンブローズ・ビアス『悪魔の辞典』のような第二章の皮肉と諧謔に満ちた「言葉の再定義」。その言葉たちが、実際の説明会を映した第三章で、全員に対して牙を剥く。ラドゥ・ジュデの特徴的な紫とピンクの中間色のようなどぎつい照明に照らされた校内は、リアリティが放棄されていて、コントのセットのようにしか見えない。レイシズム、フェミニズム、ヨーロッパの呪われた歴史、インターネット、偏見と悪意の応酬がドタバタと滑稽なツッコミ合戦として白熱しきったそのとき、衝撃のマルチエンディングを以て幕を閉じる。あまりのしょうもなさに震え、自分ならどう振る舞った…?という答えの出ない問わず語りの先で、日本の現実や、ヨーロッパの現実、特にウクライナ戦争を踏まえると芯から寒からしめたり。キリスト教、イスラム教、コロナ、全体主義、ユダヤ、パレスチナ、全てが徹底的に馬鹿にされる。是非、オスカーに一票を。

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