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凱里ブルース

中国・凱里の町医者として働く詩人のチェンは、元チンピラ。息子をリンチの末に殺されたボスの復讐のために人を殺め、9年の懲役を終えて出所すると、妻は病死していた。種違いの弟とは仲が悪く、育児放棄されているその息子・ウェイウェイを引き取りたいと思っているが、ある日、ウェイウェイが数十キロ離れた鎮遠(ジュンユエン)の街に売りに出されてしまったことを知る。ウェイウェイを取り戻し、同時に、勤めている病院の老女医に託された服とカセットテープを彼女の古い友人に渡すため、チェンは旅に出ることを決意する。

『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』(未見。悔しい)のビー・ガン監督が、300万円程度の低予算で撮ったデビュー作『凱里ブルース』。原題の『路邊野餐』は、ストルガツキー兄弟『路傍のピクニック』から取られており、その『路傍のピクニック』はタルコフスキー『ストーカー』の原作。なるほど、タルコフスキーっぽさはあるし、他にも、アピチャッポン・ウィーラセタクンやカルロス・レイガダスのような「マジックリアリズム」、その祖としてのフェリーニ、またタル・ベーラやツァイ・ミンリャンのような「長回しの巨匠」とか、カラックス『汚れた血』のような停滞したストーリーテリングを思い起こしたりするものの、それらではこの映画が達成しているものを言い表すことが出来ない。

1時間弱の凱里でのエピソードの果て、鎮遠への電車に揺られる主人公。ゆったりとしたカーブを行く電車の中、夢から醒めたチェンが「ダンマイ」なる村で徘徊する長回しのショットが、この映画の中核を成している。初回、そもそも長回しが来るという事前の予習もしていなかったため、長回しならではの緊張感をあまり感じず、ドキュメンタリー的な質感のシーンとして捉えてしまったのだが、気がついたら40分。二度目の視聴では、このシーンがまるでドミノ倒しのように組み立てられた40分であることに気づき、唖然とする。ただ、いずれにせよ「ドキュメンタリー的」であることこそがこのシーンの醍醐味であり、そのせいで、我々はチェン同様この村に迷い込んでいるような感覚に陥る。村に迷ううち、次第にこの村、このシーンの持つ特異性が明らかになってくる。端的に言うとこの村は、バラバラの時制(過去・現在・未来)が混在し、人格も混濁した、虚実の狭間そのものなのである。40分に渡る彷徨の末に、バイクの青年の衝撃的な一言(とはいえ、観客もうっすら感づいてはいる)を受けて、主人公はひとりごちる。「これは夢か…?」。いや、もはや夢とすら…。

振り返ってみると、旅に出る前から既に現実と夢の境界線は大分曖昧である。ベッドでまどろみながら、存在しない音を聞くとき。弟との諍いの場で、過去の諍いがフラッシュバックするとき。亡くなってしまった妻、亡くなってしまった母のことを思うとき。ひとつには、この主人公の「過去」を強く望む願望が、このような事態を招いているのだと気づく。彼が失った9年という長い時。その間に、時だけではなく、妻をはじめ、多くのものを失った。「時計の針を巻き戻したい」という願望が、この物語を動かしている。それを象徴するかのごとく、至るところに登場する時計。そしてそれを映す鏡は、その回転を反転させてみせる。

主人公の妻や母に対する思いは、老女医の旧友に対する慕情や、ウェイウェイの時計に対する執着と重なり合う。思い出や人格も溶け出し、渾然となった「場所」こそがダンマイの村である。ここで主人公は、老女医の友人に与える約束の服をおもむろに着て妻の影を追い、かつて鎮遠と友人を棄てた老女医の似姿がバイクの青年と交差する。ダンスホールでかつて歌えなかった歌は、トラックの荷台に同乗した若者たちのバンドが演奏する。街を行くトラックの上で風のように流れる包美聖の「小茉莉」は、村に向かうトラックの荷台でゆっくりと熱を帯びていく。

私の詩に通じる岩の隙間
離れた者は必ず戻ってくる

ダンマイの村へ急ぐバイクを離れ、彼らを待ち構えるように狭い建物の隙間を通り抜けるカメラ。チェンが鎮遠へ向かう便を待つ船着き場へ向かう時にも逆行する「岩の隙間」。雨が降り出しそうな薄暗い空の下、そこを通る時に、いずれも遠く落雷の音が鳴る。老女医の息子を亡き者としたタクシーの後部席にも、凱里を去りゆくウェイウェイの元にも、「野人」の影はある。そして、伝えるところによれば、「野人」の声は「雷のようだ」と言う。断片的に幾度も挿入されるチェンの抽象詩が、物語に並走する。「野人」の待つところには一体何があったのか。

膨大な伏線と隠喩に満ちた本作は、ある種のミステリーとしても機能している。一度目は「衝撃」、二度目は「理解」。そして三度目に観た時、喜怒哀楽の曖昧な感情で胸が一杯になるのを感じた。ダンマイという「夢」の中で、主人公が最後に手渡したものを思い起こして欲しい。いつの間にか訪れていた、彼の達成を。

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