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007/ノー・タイム・トゥ・ダイ

「ボンド映画に何を求めていたのか」を、いつも忘れてしまう傾向にある。今回はっきりしたので書いておきたい。それは「格式」である。トム・フォードのスーツに身を包み、アストンマーティンに乗り込むと、007のテーマが鳴り響く。そのカタルシスに身を委ねて歯噛みするのが、少なくとも俺にとっては「ボンド映画体験」である。2021年新作『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』。この時点で満点である。合格

『カジノ・ロワイヤル』に始まるダニエル・クレイグ=ボンドは、思えばずーっとこの様式美を脱臼させることで、反則気味の歯噛みを味わうのがやり口だったように思う。銃口から見えるボンドが振り向きざまに発砲するあの伝統的なオープニング。それを、トンネルやら何やら「丸いもの」をかの銃口に見立てて「そう来たか!」と喝采を上げる。サム・メンデスらによるここ何作かの演出では、そうした絶妙な外しが効果を上げてきたし、喝采をあげてきたかつての自分たちを今でも否定しない。あれは格好良い。粋である。けど、キャリー・フクナガがメガホンを取った本作の冒頭、例の音楽にグラフィック、タキシードのダニエル・クレイグが銃口の奥にいる俺たちに振り向いた時、「あ、これを求めていたんだ」と自分の欲望に気づいた。素直になれよ。

かくして「伝統」ここにありと唱える一方で、いくつか革新的な試み、特にコメディ要素の導入が良い効果を挙げていたのが印象的。『フリーバッグ』フィービー・ウォーラー=ブリッジが脚本に入ったこととか、色々と次作以降の方向性を模索していたんだと思う。みんな大好きパメラ=アナ・デ・アルマスの初心者すっとこどっこい演出や、大アクション途中の「Salu!」で乾杯のケレン味とか、女スパイとの小競り合いとかじゃれ合いとか、新しかろうが古かろうがこれだ。これぞ観たいものであった。

もちろん!脚本は!超!穴だらけ!でも、思い返して欲しい。俺たちは、ボンドがかかっている映画館に脚本の穴を探しに来たのではないはず。じゃあ何を探しに来たのか、というのが冒頭の問いである。阿呆と罵られても構わない。トム・フォードに身を包んだボンドが、アストンマーチンに乗り込むと、テーマが鳴り響く。他には何も要らない。

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