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映画「街の上で」感想(ネタバレ大爆発)

https://www.youtube.com/watch?v=b3uzwReO-3w

アニメ映画「マインド・ゲーム」に好きなシーンがある。クライマックス、主人公が命を懸けて長時間猛ダッシュを試みるが、次第に負担のかかりすぎた足の骨にひびが入り、広がっていく。「俺が、あの時、牛乳を飲まなかったからだ…」ここで回想シーン。幼き日の主人公は夕食に出された苦手な牛乳をこっそり残してしまう。足の骨にはさらに亀裂が広がっていく。ここで画面はあの日の夕食後、キッチンで後片付けをする母のシーンに戻る。「あら、あの子ったら牛乳残してる…料理に入れちゃえ、バレないでしょ」とお母さん。主人公にとってはカットされ存在しなかったワンシーン。でも、この世界に確実に存在していたワンシーン。この後、彼の骨のひびはみるみる治っていき、主人公は再度猛スピードで前へ進み始めるのだ。

 映画「街の上で」の冒頭、主人公・青が不自然な体のこわばりを隠し切れず、読書をするシーンが流れる。まるで銃剣でも突きつけられているかのような不自然な演技に、直々に熱く自作映画への出演をオファーした町子監督も全カットの判断を下す。青の応援団である我々すら目を逸らしたくなる無様なシーン。両肘が上がりきっている(若葉さん、メッシがインサイドキックを空振りするタイプの難しさがあったと思う…)。そこに重なるナレーションは古本屋店員の田辺さん。「これは映画には存在しなかったシーン。でも私が見たかったシーン」。

 何事にも受け身で、そのくせ余計なひと言を投げかけてしまう青と田辺さんは一悶着(いくらなんでも青、そんな良い予感しかないタイミングでその言葉選ぶ!?)あったものの、一緒に「読書シーン」の特訓をした記憶がある。珍しく青からの依頼で。しかし、お互いの読書シーンをアイフォンで撮影しあう中で、田辺さんの内側に隠していた柔らかい陰の部分をえぐるハプニングが起きてしまう。

そもそも青はとにかく受け身で流されがち。なにしろあんな極寒アウェイのトラウマ撮影後(それも極寒ヒエヒエの握手後)に打ち上げに誘われ、のこのこ顔を出してしまうほど。とはいえ、この映画の中で青が、自ら能動的に動く場面が2か所ある。そのひとつが号泣する田辺さんに亡くなった店長の留守電を聞かせてあげるところだ。

(ちなみに恐るべきもうひとつのシーンは、元カノ雪を押しのけ玄関ドアをこじ開け「ほんとにいいの?雪ずっと好きだったじゃん。これすごいことだよ。今ならまだ間に合うよ!」と劇中最大のテンションで元カノに浮気相手との復縁を促すシーン。後者は冒頭の古着屋カップルの元カノが「告白、うまくいくといいね」と複雑骨折しそうな視線で元カレに伝えるシーンとも対になっていて、「ほんとバカだね青は、、、好き」って全員思った。そしてその瞬間の雪は、2時間の中でもっともきれいだったことも記録しておきたい)

 この日の記憶があったから、田辺さんはどうしても青の「読書シーン」を劇場で観て、一連の記憶を完成させたかったのだろうか。だから、全カットした町子監督にあんなに詰め寄ったのだろうか。「それって存在の否定じゃんか」とまで言い切って。私の人生の大切なワンシーンまでなかったことにされたような気がしたのだろうか。

 一方、町子監督は、古着屋の店番をする青の読書姿をとても評価していた。好ましく思っていた。ど素人の青に緊張しながら飛び込みで出演依頼するほどに。町子監督が青に用意する衣装が、青の当日の私服と全かぶりするほどに(おもろい)。しかし、13テイク目で「諦め OK」を出す結果となり、スタッフも「戸惑い&察し OK」を虚空にこだまさせるほかなかった。打ち上げでは、よりによって元カレスタッフから青に妥協オファーした姿勢を糾弾される始末。立ち場なし。この苦い夜の記憶があったから、町子監督は青のシーンを全カットしたし、なんなら青の記憶自体カットしてしまったのか。ごく当たり前の話、記憶は人が選んでいる。カットする人もいればカットしたくない人もいる。

 田辺さんと町子監督が冷たく尖った言葉を投げ合う中(こわい)、イハちゃん登場。このシーン、三人の文法がまったく違いすぎてほんとにおかしい(けど、世の中こういう場面多いよね。というかそもそも世界って全く異なる文法の持ち主が集まってできてる。これ忘れがち)。例えるなら、安野モヨコと浅野いにおキャラが言い争う場面に、来ったぞ~来たぞアラレちゃん登場!んちゃ!って感じで「まあ下手やったってことですね」とカットの理由を一言で言い切るイハちゃん。

地球まっぷたつ。この子、ほんとつおい。

 とはいえ、この映画の好きなところなんだけど、なんでこの押し問答がこんな長引いたかというと町子監督が最後まで「青の演技が下手だったから」って明言することを避け続けたから、なんだよね。撮影後、当てが外れてスタッフ前でも恥をかき、失望の中にいたはずの町子監督だったけど、握手を求める青を制しながらも(おもろい)、衣装受け取ったあとできちんと握手するんだよね。古着屋での異常にたどたどしいオファーも含め、ただ気のつよい女性とは描いていない。

 そして、イハちゃんは観れば観るほど謎が深まる。とにかく俺は地獄の一丁目みたいな打ち上げで、突然隣に座ってくるイハの表情が全く読めない。自称「アウェイ」とは言うもののそれほど馴染めてないようには見えないし、アウェイの青に対する気遣い...でもないような気がする。ほぼ恋愛成分皆無。彼女は友情と恋愛の境目を目視したことがないのか、それとも純粋に「人に対する興味」が強いのだろうか。とはいえ、町子監督に目線を送り「あういうのタイプ?」と尋ね、「いやーモテそうだよね」と無難に答える青に、「モテそうか?」の剛速球。この絶妙なタメ語使い一発で急激に距離は縮まり、彼女がありきたりの会話ラリーに興味ないことが伝わってくる。何かが始まるファンファーレにも思えた。(この映画を見終えた後、大半の人がそうであるように「街の上で」レビュー、ブログ、インタビューを浴びるように摂取したんだけど、イハちゃんのタメ語使いを多くの男性は「恋の予感」と捉え、女性は「友達になりたいのかな」と理解している傾向があって大変勉強になった。来世に活かします。)

 さて、打ち上げ後、イハちゃんはなんで家に誘うんだろう。いくら「welcome」でオープンな彼女とはいえ、なんだろうか(ここについて誰かと話したい、マグカップで麦茶飲みながら)。だが、ここから本作が語り継がれることを決定づけた圧巻のシーンが始まる。

「手伝ってほしいことがあるんだけど。ちょっと布のサイズが見たくて」と撮影で使うという布を一緒に広げるシーン。なんとなく二人で布を広げる。「ふむふむ」と首をかしげつつそれらしくサイズを見るイハ。「ちょっと、お茶の上、あぶなくない?」と危惧する青に「本番もお茶の上だから」とイハ。「はい、だいたい分かりました」と布を適当にまとめ、急に興味をなくしたかのように乱雑にミシン奥にポイするイハ。1回目観たときその布の扱いにちょっとだけ違和感あったけど、2回目観てやはり「実はその布使う予定なんかなかったのか?本番もお茶の上とは?」と疑問に思い、マイメンMCATMにDMしたところイハちゃんは、ずっと心の距離感を掴みかねてて、それを測ろうとしているんだと思いましたね。布のサイズもそれで、色々試して、最後に「友だちにはなりたい」で、ここだーっていう距離感見つけた感じだったのかなと想像していました」と返ってきて、俺はもうそれがいいです。それが好きです。

 結論から言いますけど、2人にとってこの夜にセックスがなくて本当に良かったんじゃないかと思う。いやあっても全然いいんだけど、こういう夜が確かにあったということ、名前のつけられない微妙なグラデーションの、だからこそおざなりのフォルダには収納できないイハとの会話、お互いの記憶と気持ちを両手で持ち合った感触は、彼らの今後の人生において色褪せることなく輝き続けるんじゃないかな。そういう夜ってありますよね、俺はありました。

 あの17分間の会話(イハちゃんの「で?勉強したん?」で高らかにプレイボール!そりゃプレイボールするだろ)がスリリングなのは、長回しだけが原因ではなくて(ちなみに私は長回し不感症で、見ている間長回しだってぜんぜん分かんない)、会話が恋愛方面と友人方面のどちらに転ぶのかスクリーンの2人も含めて誰もわからない上に、イハちゃんの反応がなんでも興味深そうに質問し、戸惑い、軽い質問に対し「え?えー?」って俯きながら素直に照れ笑いを隠そうともせず(好きな人と話するときのやつじゃん)、「なんでやろ」って言葉を探しながら今楽しい今会話楽しいとテーブルに目線を落としつつニコニコするから。青&男性観客の「これ、あるんじゃない?」メーターがぐいぐい上がっていく一方で、部屋入ってすぐイハちゃんが「じゃお茶で」と部屋飲みを避けたり、「こういう付き合うとかじゃない関係だと何でも話せるのに」って心の底からナチュラルな牽制球を放り込んでくるから、我々も青の「いこかもどろか」のどちらを応援すべきかわからなくなる。2人が音をさせないよう慎重に慎重に陶器のマグカップをガラステーブルに置く所作ですら場の緊張感を高めていく。

 時が経つにつれ、2人がこの夜の手応えを共有し始めると、我々もだんだん青の恋愛の成就よりイハちゃんが今楽しんでいる心の交流を壊したくない!に移行していき、あー別の緊張感が生まれてきた。コラ!青!かわいいとか言うんじゃねえ!でもさー、青の気持ちも分かるんだ。メンソールタバコの女性が5人めのミューズにならなかったのは、青がシンプルな好意に対して、きちんと謝意伝えられなかったからだし。ライターも忘れてるのに「火貸してくれる?」すら言い出せなかったからだし。そんな青が、イハに対して抱いている恋愛から友人までを穏やかに射程に入れた好意をちょっとでも小出しにすると、笑顔で「あ、いまもう壊れた」って明言されちゃうこわくてかわいくて斬新なシステムがそこにある。

 フルーツポンチ村上が詠んだ俳句「君の足這う蟻のこと教えずに」が俺は大好きで。偶然ふとしたきっかけで始まった異性との会話、思いがけずドライブしたこの楽しい時間、でもそんな手応えを感じてるのは俺だけかも、「場所変えようか」「もう8時だね」なんて一言でも言ったら「あーじゃあ、もう行くね」とお開きになってしまうのでは?ただこの時間を終わらせたくない、とにかく自分の一手では終わらせたくない!「う・ご・け・な・い!」というあの季節の切実な気持ちが込められた一句。イハちゃんとのこの会話シーンがまさしくそう。麦茶片手に「なんか、友だちになりたいかも」と言ったイハちゃんの言葉で「やった!ゴール見えた!分かった、いまからそっち目指す」と思った。特に男女部屋で2人きりイコールセクシャルな話、ではなかった、街が存在しない地方の大学生活を送っていた自分にはとてもしっくりきた。

 この大切な夜(あんな会話劇の次に「帰るんかい!」「じゃあ泊まろうかな」「お任せします」があって、「生きとったな」を部屋着すっぴんで言われたら、情報量多すぎて死ぬ)の後は、17分間に負けず劣らずサイコロが転がり続ける会話劇、みんな大好き五叉路シーンです。サイコロの目に「私殴られて」とか想定外の数字がいきなり追加されたり、金髪自転車投入が追加されたり。ゲームとルールがどんどん変わる。坂道登れないは劇中随一の笑いポイントでもあるけど、「人生の重大な局面は割とカッコつかない」って経験上すごい分かる。そういうものが映ってる映画を見ると俺はうれしい。

 「街の上で」を観て一番思ったこと。それは「もっと話そう」だった。より正確に言うと「もっと話しておこう」だ。話しておけば何かが起こる。話さないと何も起きない。「恥ずっ」って思いながら最後まで話したから店員さんが街案内をしてくれたし、調子こいて話したら怒らせちゃったけど、また正直に話したから許してくれたし、あの時話しておけば生きていたかもしれないと後悔してしまうけど、「生きてたらあの人どのメニュー選んでましたかね」って話している間、彼はこの世に生きてる。生きてると同義。おかしな警官が懲りもせず身の上話を話し続けたから、人生の岐路に立つ雪にも刺さって間宮さんを連れてくる。あの時青が話しかけたから間宮さんも憶えていて驚いた。すべて話しかけたから始まって、起こった。この映画だってMCATMが「ラボさんの感想聞きたい」って言ってくれたから観た。だから、観賞後はもっと余分なことを話しておこうを心掛け、実践しています。話しかけると、思ったよりみんな返してくれる。

余談。「街の上で」は記憶にまつわる映画だと思うけど、パスタとレコードの店で飾られていたLPの中にRASAの有名な夕焼けジャケットがあった。個人的にこのLPは、「記憶を捏造してしまう名盤」だと常々言い続けている。RASA「everything you see is me」を聴くと、俺は受けてない東京の大学に通っていなかった頃、勤めてないバイト先で知り合っていないショートカットの彼女や音楽を通して知り合わなかった悪友たちと、毎週下北のカフェDJをやってたことを昨日のことのように思い出す。

https://www.youtube.com/watch?v=DDAYo1S68ZY

 いい映画ってこういう書き込みやすい余白が山ほどあって、だからみんなこうやってコメントを書きたくなるんだろうな。 「街の上で」は出演してないにも関わらず勝手にエンドロールに名前が書き込まれてしまう映画だ。

 最後に拾遺集。

🔴雪がメンソールタバコに気づいたとき、いいなと思った。メンソールのお姉さんのさりげない好意がまだそこに生きてる。火種になる可能性すら秘めて。

🔴冷蔵庫にとってあったケーキ(とその理由)に気づいて雪が見せた飛躍、こういう女性のチャーミングな蛮勇に弱い。この穏やかな時間の流れ方が雪は忘れられなかったのね。

🔴チーズケーキの唄、胸張って田辺さんに音源渡せる名曲じゃないか。カセットMTRが似合う音楽じゃないか。(現在、youtubeやインスタにカバー動画が山ほどアップされています)

https://www.youtube.com/watch?v=BhCaivz2MSo

🔴あの古本屋レジ前シーンの田辺さんのグイグイ具合と、青の「そこまで言うんじゃさ、これ入り組んでて、ほんとは思い入れもあるんで、軽い気持ちで話せないやつなんだけど、じゃあ話すけどさ」ってボソボソ語りがことごとく潰されるやつ、音楽経験者あるあるでニコニコ。田辺さんの喋り方は鳥のさえずりのように心地よい。

🔴ラスト近く、イハちゃんが明らかに買いもしない古着を物色しながら青の読書姿を盗み見るシーン。田辺さんにあれだけ熱っぽく抗議させた、監督に飛び込みで出演依頼させた読者姿って一体どんななんだ?というシンプルな興味、と1回目観たときは理解したけど、2回目は「雪さんと続いてるんですか?」と田辺さんに聞いた後での来店だし、直接見ずにさりげなく青の様子を間接視野で伺うイハちゃんの抵抗し難い可愛らしさに、これはもしや?と困惑した。たぶんちょうど真ん中に落としてきたんだろうなー。いい。

🔴だから、映画のチラシ、ほんと持ち帰ってよかった。なるほどこれが「カットされてなかった」とイハが言いたくなった姿。

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