のだめカンタービレ

ここにきて、ようやく『のだめ』を全巻読み終えた…。いざ読んでみりゃ、あっという間。以下、軽くネタバレ。だけど、これ、何年前の作品よ…。

「のだめ」という天才と、「千秋先輩」という秀才(もしくは、努力型の天才)。「クラシック音楽業界を舞台にした、お互いの立身出世伝(?)を軸に、恋愛模様も描いた作品」と捉えていたけど、天才を描いた作品に往々にしてあることだが、端的に言って途中から恋愛がどうでも良くなる。こういう場合、その「恋愛」が、天才と秀才(もしくは凡人)を分かつ枷になったり、それとも逆に恋愛関係を前に才能が犠牲になったりするのが醍醐味、って思ってます(例えば、前者の傑作は『はじまりのうた』で、後者の傑作は『イエスタデイ』っすね)。

のだめの場合は、結局「天才をどのように世間にデリバリーするのか」という、天才を支える立場の人たちを描いた物語のような印象を受ける。その時、実際に右往左往する人たちが物語の中心的な立ち位置でバトンを回し続け、真の主人公である「のだめ」には直接バトンが渡らないまま、後景化していく。千秋先輩に一目惚れしてから、ただただ彼に振り回されているように見えるのだめが、実は先輩を支配してしまったのだ、ということに気づいてしまうのが日本編。ヨーロッパ編では有象無象がその天才を支えるためだけにその身を捧げるのである。

ヨーロッパ編の山場となる二つの出来事、「ルー・マルレ・オーケストラの再生物語」「唐突なのだめのデビュー」を経て、物語は尻すぼみに目的を失っていくかのように見える。特に、ミルヒー(彼も天才を支えようとして、見事に空回りしてみせた)によるデビューの狂騒は、のだめを巡る世間的な手続きの最終段階に見え、それ以降は、日本編のラストのような物語的なカタルシスは用意されていない。

その無力感、脱力感こそが、人智の及ばぬところにある才能を前にした時の、よくわからないまま歴史が動いているような感覚と近いのではないかな、と想像した。事故的なパワーバランスの転換を見せた『ラ・ラ・ランド』のラストは、物語的なカタルシスに満ちていて面白い。『のだめ』のラストはそれとは違う。途方もなかった目標は失われ、ただ、才能あるものと、努力しているものが、正しく成功している(途中の)世界。そのあり方は、1時間や2時間で終わる形式ではない、連載漫画の幸せな尻すぼみ感なのかもしれないな、とちょっと思った。

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